「初めての歌舞伎を楽しもう」munakatayoko’s blog

すばらしき日本の芸能、歌舞伎。初心者にわかりやすく説明します♪

寺子屋~『菅原伝授手習鑑』感想レポ

3月昼の部『寺子屋』を観ました。

松王丸・菊之助(左)源蔵・愛之助

 

■自分の運命を知らない小太郎、知っている小太郎

今回の『寺子屋』。何度も観ているのに、また新たなドラマを見せられていつようで、新鮮な驚きがあります。まあ、それが歌舞伎の醍醐味なのですが。

 

あらすじはこちら

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まずは小太郎。小太郎というのは松王丸の息子で、菅秀才を救うために身替りとなって死ぬ運命にある子です。

2年前の秀山祭のときには、歌昇の次男秀之介クンが演じました。秀之介クンまだ4歳の誕生日前で小さい小さい小太郎でした。本当の小太郎役は、4~5歳くらいがいいのだろうが、前回は小さくて、今回の丑之助は10歳。どーんと大きな感じ。

だからキャスト発表のときから松王丸の菊之助も合わせて「ん?」といういう違和感がありました。

しかしふたを開けてみれば、魅せる丑之助。

秀之介クンのときは、あまり小さくて「この小太郎は、こんなに小さくてなにもわからないうちに首を討たれて死ぬのね」とその哀れさに泣けました。ところが、こんどの丑之助は

「すべてわかって討たれるのね。自分の使命を理解し、運命を受け入れ死んでいくのね」とそのけなげさに泣けました。

 

秀之介くんは、きっと歌昇パパに「源蔵先生には、おててを三角にして畳について、『これからよろしくお願いします』とご挨拶をするんだよ」と教えられたんだと思います。そのとおり、きちんとやっていました。それが泣けるんです。

 

今度の丑之助は、菊之助パパに小太郎の役について深く掘り下げて話しています。ラジオ深夜便菊之助は、

松王丸と千代は小太郎に、言い含めているはず。自分の運命を受け入れてどれだけ親のことを思って死に場所を選ぶかという小太郎の思いについて、丑之助とは掘り下げて話したというようなことを語っていました。(そんな意味だったかと。)

松王丸が小太郎に言い聞かせたように、丑之助は、パパ菊之助と小太郎の気持ちについて深く納得がいくまで話し合って、この役に臨んだのだと思います。

 

小太郎は、最初に母千代に連れられて寺子屋に来ます。源蔵はその高貴な姿に、菅秀才の身替りにすることを思いつきます。(源蔵は自分が思いついたつもりですが、実は松王丸が源蔵がそう思うことをお見通しで、小太郎を送り込んだのです)

小太郎は、挨拶をして引っ込むだけの役なのです。あとはでてきません。

 

そして丑之助小太郎は、きちんと挨拶をし、手をつかえ、源蔵をじっと見ます。

2022年の秀之介小太郎の使命は「きちんとご挨拶をすること」だったけれど(多分)、

丑之助小太郎の使命は、源蔵に「菅秀才の身替りにしよう」と思わせることでしたから、品良く、手をつかえ、じっと源蔵を観て、きちんと挨拶をすることを文字通り命をかけて行うのです。源蔵が自分を菅秀才の身替りにしようと考えるよう必死に演技、というか念を送るのです。

わずかな出番ながら、立派に役目を果たす小太郎、丑之助。

 

小太郎と松王丸という親子と、丑之助菊之助という親子がダブってしまって、親を思い自分の死に場所を選ぶのが小太郎なのか、丑之助なのか、泣いているのが松王丸なのか、菊之助なのか、もはや混然としてきます。

 

子どもを身替りに差し出すということは今では考えられないけれども、昔だって「ほいさっさ」とできることではないのです。その重さ、辛さが伝わった今回の小太郎だったと思います。

■人間味あふれる菊之助・松王丸

父松王丸を演じたのは菊之助です。

菊之助が松王丸?このキャスティングにも最初「?」と思った人は多いのではないでしょうか。

菊之助は松王丸がニンとは思えないし、今までに源蔵、千代、戸浪と演じています。丑之助に継承するために松王丸をわざわざ演じるのかといった意見もネットではありました。私もそうかと思っていたのですが、上記でも出した「ラジオ深夜便」(2月23日放送)では、「いつかは松王丸を、演じたいと思っていた」とのこと。そうなんだ!と思いました。

岳父(2世吉右衛門)の松王丸の大きさや、千代に対する愛情がとてもよく、その経験を教えてもらう前に他界してしまったということもラジオでは言っていて、積極的に松王丸を演じたいと思っていたことがわかりました。また、この話を聞いて、千代への優しい松王丸が観られると期待したのは、間違っていませんでした。

 

今回の菊之助の松王丸。意外と言ったら大変失礼ですが、とてもよかったです。夜の部の『伊勢音頭』でのつっころばしの万次郎もとてもよいのですが、時代物の松王丸がこれほどよいとは。

  美しい松王丸

寺子屋」って、源蔵夫婦などは割と世話物風なのですが、松王丸は登場からしてとても特異な格好で、異様な存在感です。ところが今回の松王丸は古怪というよりは美しい松王丸。というのが目を引いたところですし賛否両論の出るところかもしれません。最初の出は、音羽屋型の松王丸は銀鼠色の衣裳。

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   苦悩する松王丸

松王丸は、自分の子どもを殺さなければならず、なおかつ首実検でそれを確認しなければならないという役回りで、ずっと苦しくて寝ていないだろうなあという風情、苦悩がよく現れていました。

 

自分の子どもを死においやり、なおかつ首実検で偽証するという立場。これほどの悲劇があるのだろうかと思われますが、小太郎の立派な最期の様子を聞き、泣き笑い。

「にっこりと笑いましたか。わろうたとやい。ははは。はははは。

でかしおりました。利口な奴、立派な奴、けなげな八つや九つで親に替わって恩送り」

 

そして、松王丸は自分よりもっと悲劇の人のことを思って泣きます。それが弟桜丸のこと。自分は菅丞相のお役に立てることはできたが、桜丸はそれすらできずに切腹して果てた。それがかわいそうだと言って泣くのです。

源蔵どの、ごめん下され!と言って泣くのです。

今回の菊之助は賛否両論のようですが、生真面目な菊之助が演じたリアルな松王丸は、私はまことに清新であったと思います。

■野太い源蔵愛之助・戸浪新悟 

源蔵演じた愛之助は、しっかりと肚が決まっており、まったく違和感なく安心してみていられたという印象。何度も演じているかと思いきや、2018年南座で演じて以来の2度目の源蔵でした。また、心境著しい新悟も、源蔵妻戸浪役で健闘。

新悟は、浅草でのハードな経験がとても役立っていると感じます。『十種香』の濡衣、『熊谷陣屋』の相模、『宗五郎』のおはま、と1日のうち2回ずつひと月もやれば、そりゃあ鍛えられますよね。どんなお役もどんと来いというような、自信がついたのではないでしょうか。

 

今回の戸浪も、大儀のために「寺子と言えば親子も同然。その寺子を殺す」という源蔵の共犯関係になります。さらにその母をも殺す覚悟の源蔵についていく、「いいのか!」という心の揺れも見せつつ、なんとしても夫とともに菅秀才を守りぬくという決意が見られました。

首実検のときには「天道様、仏神様、哀れみたまえ」と女の念力。ぎっと松王丸を陰から睨みつけている様子に、戸浪の強い意思を感じました。

 

最後のいろは送りに、こまごまと用意する源蔵夫婦には、哀、悲、悔など様々な感情があふれ出ているようにも思えました。

■千代・梅枝で決まり!その悲しみに追いつけない

6月に時蔵襲名を控える梅枝は、最近どれもこれも大当たり。名演が続きますが、今回の千代も素晴らしかった。

千代というのは、身替りにされた小太郎の母であり、松王丸の妻です。松王丸とともに菅秀才のために身替りになるよう小太郎を説得し、当日は千代が小太郎を源蔵のもとに連れてきて預けたのです。最後の別れと知りつつ。

文箱には死に装束を入れ、子どもと別れ、時間をつぶし、また頃合いを見計らって、迎えに来るのです。どんな気持ちでいたのか想像もできません。

上手く、身替りとなりますように、なのか。

もしかして、逃げていてくれますように、なのか。

痛くありませんように、なのか。

 

我が子の死を願う母はありません。手文庫に死に装束を忍ばせて子どもを預ける千代の哀しみ。しっかりと握った手を離したとき、どんな思いであったことでしょう。

斬りつける源蔵にはっしと我が子の手文庫で受け止めて、

「菅秀才のお身替り、お役に立ててくださったか、まだか、様子を聞きたい」と気丈に応ずる千代の哀しみ。

立派に死んでいった我が子の哀れを嘆く千代の哀しみ。

感情が追いつけません…。

「あ、もう泣くな。泣くな」といたわる松王丸が優しい。これ、文楽ではないセリフなのですよね。さすが役者で見せる歌舞伎。泣かせてくれます…。

 

最後は小太郎を皆が見送ります。場内に線香の香りが漂い、哀しく響く「いーろーはー」のいろは送り。

うつむきたたずむ白装束の梅枝がことのほか美しく決まりました。

 

ところで、最後に小太郎のことを嘆き悲しんでいた松王丸がいきなり「桜丸が不憫だ」って泣くの、どういうこと?と思った人は、こちらを読んでね。

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3月のそのほかの演目

3月26日まで。

タイムテーブルやその他今月の演目はこちら!

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