「初めての歌舞伎を楽しもう」munakatayoko’s blog

すばらしき日本の芸能、歌舞伎。初心者にわかりやすく説明します♪

心洗われる『双蝶々曲輪日記』~引窓 盤石の布陣 感想レポ

『引窓』は、1749(寛延2)年 人形浄瑠璃として大阪竹本座初演。歌舞伎は同年8月京布袋屋梅之丞座で初演された。

作者 竹田出雲、三好松洛、並木千柳。

 

今月昼の部は「引窓」と、後に「夏祭浪花鑑」(1745年)がかかっていたが、両方見ていると何やら共通点があることに気づく。どちらも上方の侠客の達引(けんか)がテーマで、人を殺して、他の人に罪をなすりつけて逃げている人が出てくるのも同じだなと思っていたら、竹本座で『夏祭』が評判になったので、2匹目のどじょうを狙えということで4年後に『双蝶々』も作られたらしい。ところが『夏祭』に似ていたため初演時はあまり評判が良くなかったそうである。

人気が出たのは歌舞伎に移ってからで、『角力場』が評判になったことによるそうだ。参考「名作歌舞伎全集第7巻 『双蝶々曲輪日記』 解説」

なぜかお相撲さんの出る歌舞伎は人気が出るというのもおもしろいが、わかるような気がする。私もお相撲さんの出る歌舞伎は大好きだからだ。『角力場』しかり、『め組の喧嘩』しかり。

 

さて今月の『引窓』は、濡髪長五郎が松緑。南与兵衛が梅玉。母お幸が東蔵。女房お早が扇雀

長五郎の最初の出は、殺人を犯してお裁きを受ける前に実母に一目会いに人目を忍んできたところ。花道を筵をかぶって走ってきて、筵を払ってパッと来し方を振り返って、追っ手が来ていないことを確認する体で観客の前に顔を見せるのだが、その姿がすっきりと決まっていてとてもよかった。

 

全体的に大きくてりっぱな相撲取り、しかし人を殺めてしまい、母に会いに来たのだけれど、母に悲しい思いはさせたくないという矛盾した気持ち、憂いに満ち満ちた様子で胸が痛くなる。

長五郎が帰ってきたことを喜び、「与兵衛にも会わせて兄弟の盃をかわしてやろう、嫁も入れて3人の子ども。ほんにわしほど果報なものはまたと世界にあるまいの」と幸せそうに語るお幸。それを聞く長五郎は明日にもわからぬわが命なのにと湧き上がる涙を隠す。

余計なつながりを持たないように南与兵衛とは自分のことは話さないようにと頼んで、それとなく最後の別れであることをほのめかしたりする。胸は張り裂けそうな思いに違いない。

何か御馳走をというお幸に「私への馳走なら、欠け椀の一膳盛り、つい食べて帰りましょう」。欠け椀の一膳というのは、牢で出される食事のこと。それがふさわしい自分なのだと長五郎は言っている。

ウキウキとしているお早とお幸とは対照的に、いや二人がウキウキとすればするほど長五郎の心は重く、暗く沈んでいくのがよくわかる。

お幸を演じる東蔵はこういう役が天下一品だ。

何とか息子を逃がしたいと、義理の息子になけなしの金をはたいて絵を売ってくれるよう頼み、人相を変えて逃がそうとする愚かな母、哀れな母、哀しいほど愛情深い母を熱演。

与兵衛の妻お早は、陽キャな屈託のない女性だけれども思いやりのある嫁だ。なぜそこまでして長五郎を逃がすことに加担するのかと言えば、姑の心に寄り添ったから。

「あんまり母さんのお心根がいたわしさに大事の手柄を支えました」という。

現代の価値観から言えば、お早の行動もお幸の行動も非難されるべきものだが、ここは相手の気持ちにどこまで寄り添えるかを見てあげたい。扇雀のお早は明るいキャラで暗くなりがちの展開を和ませてくれた。「いつも嘘をつくというわけではないのよ」と夫にすっと手を添えるところが憎い。

そして、南与兵衛(梅玉)。義理の母は自分の手柄よりも実の息子への愛情を取ったと悟ったとき、複雑な気持ちになったはず。けれどもそこは、大小の刀をとって

「両腰差せば南方十次兵衛、丸腰なれば今まで通りの南与兵衛。相変わらずの八幡の町人、商人の代物、お望みならばあげましょうかい」と決して重すぎず、ひょうひょうと渡したのが良かった。

そもそも南与兵衛というのは、お早の夫の前の妻の子どもで若いころはやんちゃで家を飛び出し、女郎の都(後のお早)に入れあげお家は没落、笛売りとなっていたが平岡郷右衛門たちに襲われて欄干から傘につかまって飛び降りて逃げたという男で、「生真面目・重厚」というよりは「ひょうひょう・洒脱」な人間なのだ。

今はまじめになり、南方十字兵衛(親の名前)をいただき、武士として認められたところ。初めて大小の刀をもらい、家に帰ってきたときもひょんひょんと喜びを隠せず軽く小走りで帰ってきたところや、門前で居住まいを正して入るところもかわい気があった。

平岡丹平(松江)と三原伝造(坂東亀蔵)も、家族を殺されて下手人を早く捕まえたくてギリギリとした様子、与兵衛が殺された平岡郷左衛門と三原有右衛門の名前を聞いて、ふにゃと考え込んだときに「ご存じかっ!」と同時に突っ込んだところなどが、気合いを感じてよかった。

当然与兵衛は郷左衛門に襲われたことがあったからよく知っていたけれど「まあ知っているような気もするけれども…」と空っとぼける。

 

最後はまた花道を駆けていく長五郎。

ずっしりと重い十字架を背負った長五郎が駆けていく。その先に希望はない。

 

 

角力場」と「引窓」の間のお話については、またいずれの機会に書きたい。これもまたビックリなんですよね。