とても心が打たれる名作ですので、多くの人に観てほしいです。ただし…
歌舞伎というよりは新派のような芝居ですから、隈取や豪華な衣裳を観たい人にはあえてお勧めしませんが、「これも歌舞伎なの?」と知ってほしいし、ぜひハンカチを涙でぬらしてほしいです。
あらすじ
親方に見放されたお相撲さん茂兵衛が、取手の宿で船戸の弥七に言いがかりをつけられます。空腹でふらふらながら、一応頭突きを食らわせてやっつけたものの、肉体的にもメンタル的にもヘロヘロの茂兵衛。その様子を2階から見ていた酌婦のお蔦。かわいそうに思って櫛、かんざし、自分の財産全部茂兵衛に与えて励まします。
その後、茂兵衛はお相撲さんにはなれず、渡世人となっていますが、お蔦への恩義は一日とて忘れたことはありません。
10年ほどたち、取手宿に立ち寄った茂兵衛は、恩人であるお蔦の行方を捜します。
そのころお蔦は、夫と子どもと宿場外れに住んでいたのですが、夫は金の工面が出来ずいかさま賭博をやって、追われる身。そこへ茂兵衛が来て、恩返しだと金を渡そうとします。感動の場面かと思いきや、お蔦は茂兵衛のことを全く覚えてはいませんでした。
見どころ
私は2017年6月にこの一本刀土俵入でお蔦を演じた猿之助が忘れることはできません。あのお蔦は実にいい女でした。お蔦は猿之助がピッタリだと思う。情があるけれど情がない。情がないというと語弊があるけれど。親切にしてやったけれど、さっぱりそれを忘れている。
猿之助自身もこの役について、「好きな役」と言い、こうも語っている。
「薄情なところがいいでしょ。親切だけど情があっちゃダメな役だから。それがだんだん時代が変わって、わが身の不幸さと茂兵衛を重ね合わせちゃってそこに情が移って…っていうのは現代的な解釈。片方は全く覚えてないのに、片方はそれを一生覚えてて恩返しするっていうのが大事なとこ」と改めて解説した。
すっかり忘れているお蔦に反して親切にされた茂兵衛は一生恩義に感じる。なぜならお蔦に会った時の茂兵衛は、家族もなく親戚も相手にしてもらえず、親方にも見込みがないと破門されて、無一文のいわばボロボロの状態のときに、お金や櫛やかんざしまでくれたのですから。
一方お蔦は、それほどモノには執着がなかったものだから、同情してお金から何までぽんと気前よくあげたのですね。
2階の窓から話を聞き、階下の茂兵衛に帯を投げるシーンが有名です。
作者は長谷川伸
作者の長谷川伸は、幼少のころに生家が没落し、貧乏生活で辛酸を嘗め尽くしながらも人の情を知りつくしてきた人。随所にちりばめられたセリフに泣かされます。
また、お蔦の気持ちを恩義に感じて必ず横綱になると約束する茂兵衛ですが、結局横綱にはなれず、あきらめて渡世人になってしまうんですよね、そこがまたいい。そうそううまくいかないもんね、世の中は。きっとやっとの思いで10両ためて、お返しにきたんでしょう。
今回の配役
今回は雀右衛門。駒形茂平衛が幸四郎です。前回の茂兵衛は現・白鸚。今回幸四郎は、お父さんに教えを乞うことができますね。
初演は、昭和6年。6世尾上菊五郎が駒形茂平衛、5世中村福助がお蔦を演じ、大評判となりました。時代を超えた名作をどうぞ堪能してくださいね。
ところで、駒形茂兵衛のモデルになった力士のエピソードがかわいいです。
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2023年秀山祭での「一本刀土俵入」感想レポート