「初めての歌舞伎を楽しもう」munakatayoko’s blog

すばらしき日本の芸能、歌舞伎。初心者にわかりやすく説明します♪

中村京蔵爽涼の會「フェードル」~歌舞伎とギリシア悲劇がマッチング♪

8月19日~20日にかけて、国立劇場小劇場で中村京蔵の自主公演「中村京蔵爽涼の會フェードル」が上演されたので、20日の昼の部に観てきた。

 

 

f:id:munakatayoko:20230827173843j:image

▲病鉢巻は、歌右衛門が玉手御前を演じた時に使ったものだそう!

クラファン達成

この公演は、クラウドファンディングで200万円をゴールとして立ち上げたが最終的には200万円を超すお金が集められた。私もわずかながら協力させてもらったので、クラファンの最後はドキドキハラハラ。競馬でも観ているような気持ちになり(笑)最終的にはぶっちぎりで1位ゴールイン!みたいな盛り上がり方を見せたのである。

f:id:munakatayoko:20230827173830j:image

 

摂州合邦辻とフェードル

「フェードル」は、若い後妻が、先妻の子に恋してしまうという話。歌舞伎でも同じシチュエーションで「摂州合邦辻」がよく知られているが、ラストは違う。

 

摂州合邦辻は、玉手御前が先妻の子俊徳丸にすさまじい愛欲を見せて、怒った父に斬られてしまう。ところが実は、一連の動きは俊徳丸を救うためだったという種明かしが最後にされる。これは「いや~。いかにも歌舞伎だけれど、ちょっとムリムリ過ぎない?」とも思える。しかし、本当は玉手御前は俊徳丸を愛していた。それを心の底に押し込めていた。それをこういう「愛しているわけではない。忠義なのだ」という形で俊徳丸への愛を貫いた、そうするしかなかったとみれば深い物語だと思う。

こっちにも書いた↓

 

munakatayoko.hatenablog.com

対して、「フェードル」は、もう少し愛についてはシンプル。先妻の子イポリットを愛してしまい(それはビーナスの呪いによるもの。ビーナス、ひどい)、そんな自分を嫌悪し、責め、死んでしまいたいと思っているが、イポリットが別に恋する女性がいると知り、強烈に嫉妬に燃える。さてどうなるか。

 

その程度の予備知識で、いざ国立劇場へ。

 

いやあ。大変よかった。

歌舞伎をベースにした和様式でのフランス古典悲劇!?

フェードルは、三島由紀夫が一度義太夫狂言にしているけれども、京蔵は少し歌舞伎に偏りすぎと感じて、自分ならではのフェードルをつくりあげたいと長年考えていた。

やりたい…無理だ…と封印、でもまたやりたい…ムラムラ。

 

何度も封印しつつ、またやりたいという気持ちが再燃したのは、蜷川幸雄の「NINAGAWA・マクベス」に参加したことがきっかけだったそう。

人名も地名もそのままで 扮装は和風。和様式と日本人の美意識で演出されたマクベスに、触発され、ついに今回のフェードルにつながった。

衣裳・鬘・大道具・小道具は歌舞伎をベースにした和の様式。でもセリフは口語で分かりやすく、役名もフェードル、イポリットなど。

 

歌舞伎風で名前や地名が原作に忠実。でも、まったく違和感がないことに驚いた。

 

そして、京蔵の熱演たるや。休憩をはさんで3時間ほど。衣裳は場面が変わるごとに変化し、豪華で美しい。常に悩み、苦しみ、怒り、哀しみ、病み、つまりマイナス感情に支配され、感情の起伏は激しく、セリフは長い。

歌舞伎との違い

  時空を超えない

時空をやすやすと飛び越える歌舞伎と違って、舞台転換はない。たった1日の中での出来事だから過去のことは、セリフで説明される。だからセリフが長い。けれど冗長に流れることもなく、3時間あっという間だった。

 女方と女優が共演

フェードルは京蔵。そして最後を見取る侍女パノープが梅乃。忠義者ながら裏目裏目に出て自滅するフェードルの乳母エノーヌが影山仁美。

恋愛不能者かと思われたイポリットが恋してしまうアリシーが植本純米。恋愛嫌いがやすやすと恋に堕ちてしまうのだから、よほどの魅力がないと納得できないですよ。

それが納得出来ちゃったアリシーの明るさ、強さ、かわいらしさよ。

女方と女優が同じ舞台に立っていても、まったく違和感なし。力強くフェードルを支え、時には策略を巡らすエノーヌも、フェードルを思うが故。ちょっとかわいそうだったなあ。エノーヌ。

 

 太刀持ちが表情豊か

太刀持ちが醍醐晴くん。醍醐晴くんといえば、かわいい子役でよく弟、陽君と共に歌舞伎座の舞台にも出ていたけれど、とってもシュッとしてかっこよくなっていた。がんばっていたんだなあ~。

そして、ほとんどセリフのない太刀持ちの役だけでもったいない!と思っていたが、とてもいい演技をしていた。それは、歌舞伎の太刀持ちと違って、表情を出していること。要所要所でハッとしたり、顔を曇らせたり、驚いたり。その感情の動きは、観客の感情と正に同じ物。観客の共感者として機能していたと思う。

それは歌舞伎にはないからねえ。面白い演出だと思った。

 

今の世にもいくらでも当てはまるテーマにぞくぞく

イポリットに恋してしまうフェードル。それだけではない。

他の役者さんも皆、すばらしかった。

織田信長みたいな圧倒的な存在感を放つ英雄、色好みのテゼ(池田努)。(フェードルの夫)

そんなおとっつあんに相当なコンプレックスをいだいて、恋愛嫌いな息子イポリット(須賀貴匡

イポリットの恋愛不能を克服させちゃうのが明るくて強いアリシー(植本純米)

私は浅学にして植本さんを知りませんで、初めて知ったのが先日の紀尾井町家話。素顔とツルツルとしたオツムとラブリーなトークが初見だったので、2度目に観たのがアリシーという衝撃よ。。

 

忠義者のフェードルの乳母エノーヌ(影山仁美)は、恋の成就を画策してすべて裏目に。

イポリットの養育係テラメーヌ(青山達三)忠実な養育係が、イポリットの最期を語るところは泣けた。目の前で最期のシーンが浮かび上がるようだった。

 

こうしてキャラを描くだけでも、その面白さはわかっていただけるのでは?

恋愛嫌いかと思いきや、イポリットがアリシーと恋に堕ちたと知ったときのフェードルの「え…!?なんですって」という表情たるや…。

 

今の世にも、いくらでもあてはまるテーマに、ぞくぞくした。

 

そして、最後は誰も幸せにならないという不毛の劇「フェードル」。ところが不思議と後味はそれほど悪くはなかった。それは、息子を亡くし、妻を亡くした英雄テゼがおそらく、人の心の痛みを知る国王になるのではないかという余韻を感じさせてくれたからではないか。これは、私の単なる願望かもしれないが、池田努の演技力でもあったと思う。

そしてアリシー。イポリットは死んでしまったけれど、多分強く賢く明るく生きていってくれそうな、希望を感じた。

 

京蔵さんの強い思いが結実して叶った今回の公演で、私は原作の面白さ、知らなかった俳優さんの実力、歌舞伎とギリシア悲劇、フランス古典悲劇との共通項や違うところなど、知ることができた。また次回の爽涼の會に期待したい♪