「初めての歌舞伎を楽しもう」munakatayoko’s blog

すばらしき日本の芸能、歌舞伎。初心者にわかりやすく説明します♪

『新版歌祭文』~野崎村 幸せだったのはたったの1時間

歌舞伎座2月の昼の部。トップバッターは『新版歌祭文』の「野崎村」でした。

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■登場人物(前段までの話に絡めて)

お光(鶴松) 素直で親孝行な娘。丁稚に出ていた幼馴染の久松が帰ってきて、お光と祝言をすることになったので、ウキウキと浮かれている。

 

久松(七之助 石津家の宝刀を紛失したため切腹した相良丈太夫の息子。乳母の兄である百姓久作に育てられた。いろいろ世間のことを知った方が良いとの方針で油屋の丁稚となったが、油屋の娘お染と恋に落ちてしまった。その上、油屋の使用人小助に騙されて、集金した金を盗まれてしまい、お払い箱となり久作の家に戻されてきた。久作への恩を思うとお光との祝言も断りづらく、お染のことは忘れられず、金もとられた、どれもこれも考えるだに気が重い八方ふさがり。

 

久作(彌十郎 久松を育てた心優しい爺。娘お光も妻の連れ子で実子ではない。金を弁償しろと脅す小助に、金を叩きつけ、これもお染と縁を切るよい機会と、お光と久松に祝言を上げるようにいう。

 

久作妻 病に臥せっており、芝居には出てこない。【文楽では出てくる】

 

お染(児太郎) 油屋の娘。油屋の経済状態が思わしくなく、金持ちの山家屋佐四郎という結婚相手が決まって親は喜んでいるのだが、丁稚の久松と恋仲となり妊娠してしまい万事休す。かなり切羽詰まった状態で、家に戻された久松を追って野崎村までやってくる。

 

■あらすじと見どころ

・八方ふさがりの久松と、お光とお染の三角関係

前段までのお話にからめて登場人物を説明しましたが、野崎村の登場人物はこのような背景をもっています。こんな状況ですが、のんびりした野崎村の風景から始まります。小助が「金を返せ~~」と追いかけてきて久作が金を叩きつけて追い返すシーンからある場合もありますが、今月はそこはなく、暖簾をあげてかわいいお光ちゃんが出てくるところから。大根を切ったりしながら、鏡で顔や髪の毛のチェックをしたり、ふわふわと幸せ気分で落ち着きません。

 

今日祝言だと浮き立つお光、しかしお染が追って来たところから暗雲が立ち込めます。

 

会ったことはないけれど、なんとなくうわさで油屋の娘とデキていることを聞いていたお光、久松を訪ねてきたお染を一目見て、ピーンときました。

 

美しいお嬢様、百姓娘の自分とは月とすっぽん。そこで、戸をぴしゃーんと閉めて、家の中に入れず、心中穏やかならないところが、とてもおぼこくてかわいい。「びびびびび」と腰をかがめて精一杯の拒否のポーズ。素直で純情で世間知らずでとてもかわいいお光に、場内も好意的な空気に満たされます。

 

そこへ登場の久作と久松、最初は2人とも戸の外にいるお染に気づきません。久作はのんきにお光と久松にマッサージなどをしてもらってごきげんです。

 

しかし、お光は外にいるお染が気になって気もそぞろ。

しばらくしてお染に気づいて慌てる久松。

マッサージをしてもらって気持ちよさそうにしている久作。

お染に気づいたらしい久松と嫉妬するお光は、久作の背中越しに喧嘩。

など、見ていてハラハラ、飽きることがない場が続きます。

 

しかし、久作もお光を奥に連れていこうとしたときに、外にいるお染に気づいてしまいます。これはまずい状況だ!と判断して、婚礼の支度を理由にお光を奥につれていきます。穏やかな久作が「は!」っとして心中穏やかならざる風にお光を連れていくところが鮮やかでした。

・お染久松の不毛の話し合いとお光の決意とは

2人きりになったお染と久松。お染は久松を責めます(当然ですわね)。

久松は、お染に山家屋へ嫁入りをするように書置きをして出てきてしまったのです。けれどもお染は妊娠もしており、のっぴきならない状況で追って来ました。想いが叶わないなら死んでやる!と剃刀を出して自殺をしようとしますが、そこに久作が現れて二人を諫めます。そして「お夏清十郎」の話を出して、こんこんと説諭。二人はそれを聞いて、死ぬのは思いとどまると言いますが、本当でしょうか。

 

そこにお光が花嫁衣裳で登場しますが、久作がお光の綿帽子をとると、お光は髪の毛を切っていました。尼になる決心をしていたのです。

今までの状況をすべて聞いていたお光は、二人は縁を切ると言っているのはその場限りの嘘で、この場を取り繕って二人で心中するつもりなのだろうと考えたのです。二人(というか久松の命を)救うには、自分が身を引くよりほかはない。そう考え、髪を下したのでした。

 

久作は涙涙。

「(お光と久松を)夫婦にしたいばっかりに、そこらあたりに心もつかず、莟の花を散らしてのけたは、みんな俺が鈍だから」

 

周りの気持ちにちっとも気づかなかったのは自分が鈍感だったからと後悔する久作に、お光は、

「(もともと大好きだった久松と結婚するなんて)所詮望みは叶うまいと思っていたのに、思いのほか祝言の、盃するようになって、うれしかったは、たった半時。無理に私が添おうとすれば死なしゃんすを知りながら、どう盃がなりましょうぞいなあ。」と嘆くのです。

うれしかったは、たった半時(1時間)という嘆きが涙を誘います。

・見送るお光の本心は

そこへお染の母登場。小助の悪事が露見し金を取り返したため、久松の無実が証明されました。久作へ金を返し、久松はお店に帰れることとなります。ただ世間体を気にして久松は駕籠で陸路。お染は舟で別々に帰ります。

 

別々に帰っていく二人を見守るお光と久作。まるで最初のおぼこい女の子とは別人のように大人になって久松を見送るお光。久松と顔が合えば微笑みながら「大丈夫」とでもいうようにうなづくし、お染にももちろん「びびび」なんて言いません。寂しく微笑んで見送るのです。顔が合わないと表情は曇り、顔が合うと無理くり作る笑顔。偉すぎるお光ちゃん

■付け足されたラストシーン

そして二人の姿が見えなくなると呆然と立ちすくむお光と久作。ぽろりと力なく手ぬぐいを落としたお光。久作はそれを拾って握らせてやります。はっと気づいたお光が、久作にすがりついて「ととさーん」。わっと泣き伏します。久作もまた「もっともじゃ。道理じゃ。」とお光を抱いて男泣き。

聞き分けのよい大人を演じていたけれどお光ちゃん、辛かったのですね。というラストです。

 

ところでこのシーンは、当初なかったそうです。

前半あれほど嫉妬心を丸出しにしてお染を拒絶したお光が、後半やけに物分かりがよい聖女となってしまっています。そこに矛盾を感じた六代目菊五郎が、思い切ったようでも未練が残っているお光の苦悩をあらわすために、久作に取りすがって泣くというしぐさを取り入れたそうです。取りすがって泣くところはたった数分?のこと。ここでガラリと印象が変わって、お光の悲劇が一層際立っていますから、六代目さすがすごいですね。

 

今はほとんど野崎村しか出ませんが、原作は下巻があり、結局お染と久松は悲劇的な最期を迎えることになりますから、お光も浮かばれません。

■主人公のお光を、鶴松が好演。

中村鶴松は、一般家庭の出身。御曹司でもないけれど、18世中村勘三郎に見いだされ部屋子になりました。2021年には『豊志賀の死』で新吉という主人公といってもいいお役に抜擢されました。今回も堂々主役。おめでとうございます!さらなる精進を期待します。

前半のお光は本当にかわいらしくて、素直でおぼこくて、

 

〽日頃の願いが叶うたも、天神さまや観音様、第一は親のお陰 

 

と手を合わせて親にも感謝を忘れないけなげな娘でもあり、ウキウキ気分を抑えられずに大根を切りながらも髪の毛が気になったりあれこれ思っているさまや、お染に嫉妬むき出しの様子がとてもかわいくて、鶴松ニンだなあと感じさせます。後半の哀れさが引き立ちました。

 

久松は七之助。卵型の美しい顔が優柔不断でこちらを立てればあちらがたたずとふにゃふにゃしている間にどんどん事態は進んでいってしまうのがなんともはや。キリリとしたお役も似合いますが、こういう優柔不断なお役も上手な七之助です。

 

彌十郎が情け深い久作を、情をこめて丁寧に演じていました。

 

■別れのシーンあれこれ。船から落ちた船頭も

今月は花道を籠に乗った久松が行き、上手に向かって船に乗ったお染が去っていきます。が、これも両花道を使ったやり方があります。その場合本花道をお染と母親が舟で。久松は駕籠で仮花道を行きます。文楽では船頭が川に落ちてしまったりするそうですが歌舞伎ではそういう演出はありません。

ところが、本当に落ちてしまった歌舞伎役者がいるそうです。

片岡我勇という役者は、花道に舟が差し掛かったところで、客席に落ちてしまったそうです。急いで這い上がったものの舟はどんどん進んでいってしまいます。そこで彼は花道の浪布の上を抜き手を切って泳ぐしぐさで追いかけたそうです。さすが!

でも「野崎村」が喜劇になっちゃいますね(笑)(戸板康二「歌舞伎ちょっといい話」ほかより)

■概況

安永9(1780)年9月竹本座初演の浄瑠璃。作者は近松半二。本当の心中事件をもとにできたという説のほか、丁稚がお染という幼児を誤って溺死させてしまい折檻されてしんだという説もあるそうです。もとになっていると言われている心中事件は宝永5(1708)年です。その2年後に『心中鬼門角』という歌舞伎脚本ができ、その後『新版歌祭文』さらに『於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)』(お染七役)、『是評判浮名読売』(ちょいのせ)などが歌舞伎で作られました。

「お染七役」は今でもよくかかりますし「ちょいのせ」は、今月大阪松竹座でかかっていましたね。「お染久松」は、様々な作品に広がるひとつの「世界」を形作っているのです。(参考:名作歌舞伎全集第7巻解説)

 

■今月のほかの演目の紹介

26日まで

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