「初めての歌舞伎を楽しもう」munakatayoko’s blog

すばらしき日本の芸能、歌舞伎。初心者にわかりやすく説明します♪

事件について

5月の明治座。私は16日の昼の部と19日の夜の部をとっていた。

偶然知人も16日に昼の部をとっていて、幕間で浜町公園でサンドイッチを食べ、終わった後も隣の喫茶でお茶をしつつ、ああだこうだと楽しくおしゃべり。

知人は、そのまま夜の部も観るということで「私は19日に夜の部だから。じゃあね、さよなら」と気持ちよく別れた。

その2日後の5月18日に禍々しいニュースが日本中を駆け巡った。

自分もまだ全然心の整理がつかないし、いまだにすべてが解明されているわけではないのでまとめることはできないが、ジェットコースターのように感情があっちこっちに振り切っていたので、備忘録として今までのところを振り返る(感情のみ)

驚き


「心中?」両親が倒れ、猿之助も救急搬送という第一報が私のところに飛び込んだのは知人からのFBのメッセンジャーで、5月18日11時25分。
衝撃。無事なのか?大変なことがおこった。

信じる

「どうなの?」と聞いてくる人に対して「スキャンダルが出たけどそんなもので死ぬような人じゃない」と自説開陳。

「心中?自殺?」という報道に対し、それはあり得ないと鷹揚に構える私。とにかく無事を祈る。

とまどう

「そんなわけはない」と思うことがどんどん情報として出てくるのでとまどう。
「やっぱり心中じゃないの」と言ってくる友人の言葉にがっくり。

もう見られないのか?

疑問

なんで?

疑う


何かあるなど、妄想。

 

怒り

責任感の強い人だから、すべてをおっぽり出して自殺するようなことがあるわけはないとおもっていたのに、そうではないのか?
「歌舞伎のためにすべてをかける」「これからも飛び続けますのでよろしくお願いします」と言ったじゃないか。嘘つき!という感情がわいた。

疑問
なんで?

無力感・寂寥感

私たちは歌舞伎ファンは、彼が死にたいと思ったときに最後の砦とはなれなかったのか。

 

疑問
なんで?責任感とは?

深い悲しみ


命をかけると言っていた歌舞伎も人間関係も興行に対する責任もすべて捨てるというほどの衝撃は、なんだったのだろうか。しかし今ご両親が亡くなり自分が生き残っているということは、その決心以上に悲しいことだろう。今現在どれだけの闇の中にいるのだろうかと思うと深い悲しみ。しかし、その後、「なんで」「怒り」とまたループ。

疑問
LGBTなら堂々としていればよかったのに。セクハラパワハラはいけないこと。何をいまさら?
他にも疑問はたくさんあって、全部は書けない。まだまだ真相解明にはほど遠いと思う。

転生

最初は「へ?転生?」と思ったが、本当に宗教として転生を信じていて、「もうだめだ。次の世で」と考えて自殺を図ったのだとしたら。
彼にとって現世とは、まったくほんのつかの間いるだけの軽い世界だったのか。現世に残っている我々は、捨てられたのか?まるで、舞台の出演者や観客を置いて宙乗りで飛んでいくみたいに、置いてけぼりか。

 

それは、猿之助さん。あんまり袖なかろうぜ。。。

 

読んでよい記事は3つだけ

ちなみに私は澤瀉屋の熱烈なファンというわけではないので、熱烈なファンや仕事で深く関わっている人に比べれば衝撃や悲しみはずっと小規模なのだと思う。それでもこの2週間はずっと頭から離れないし、ずっと考えているし、まだ混乱している。
熱烈なファンや、仕事の関係者の皆さんのショックはいかほどか想像もできない。

マスコミの報道にも傷つく。私はテレビはシャットアウトしていたけれど、SNSは観ていたので、結構がっくり来る記事やコメント(これがひどい)が多かった。

読んでよいと思ったのは以下の3本。
こちらは、なんと事件前日にアップされた記事だから、まったく事件の影響を受けていない。
だからこそ価値があると思う。
「歌舞伎イノベーター「市川猿之助の系譜」として、児玉竜一氏に取材してまとめたもの。
澤瀉屋って、どうなの?猿之助ってどんな人なの?と質問されたらこちらの記事を見せるとよい。
それにしても最後の児玉先生の言葉よ。


ともかく実力があり、客観性もあって、プロデュース力、演出力がある。集中力も身体能力も高い猿之助は、この先歌舞伎がどう転んでも活躍していく

「この先歌舞伎がどう転んでも活躍していく」 と言われた男が転んだ。

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/75161

次は三谷幸喜の記事。今読めなくなったのでシェアできない。
腹も立つというところ,呆然として普段しないことをしてしまったところが一番私の気持ちとフィットした。

「今の希望は、彼が生きていること。」と書いていたけれど、私はこれで逆に「そうだ、生きているんだ。どんな心境なのだろう」とものすごい悲しみに襲われてしまった。

最後は、寿猿さんのインタビューが載った記事。前半は読み飛ばしていいが、後半の寿猿さんのインタビューはよかった。楽屋ではもともと歌舞伎役者はプライベートの話なんかしないから、今も淡々と「ここは、旦那はどうやっていたっけ」と振りを確認しているという話に、グッときた。そうだな、みんな公演をきちんとやり遂げることに必死なんだなと思った。寿猿さんは淡々として立派だった。

 

猿之助の二つの功績

さて、「それほどの贔屓ではない」という私がなぜこんなにがっくり来ているかといえば、猿之助女方や古典などさまざまな芝居での演技が忘れられないから。

もちろんそれでファンが増えたのは言うまでもない。

私の中でも「一本刀土俵入り」のお蔦。「伊勢音頭」の万野、「黒塚」の岩手、「四の切」の狐忠信、そして昨年の「当世流小栗判官」の小栗判官、「荒川十太夫」の堀部安兵衛など、ぱっと考えただけでもすらすらすら~っと出てくる。まだまだあるだろう。

 

澤瀉屋歌舞伎座に出ない時期もあったというのに、ここ何年かは目覚ましい活躍ぶりで、5月の明治座はじめ、6月7月も歌舞伎座で重要な役どころ。特に7月は昼の部通しの主役の予定だった。(それをすべて無にするとは…。)


もう一つの理由は、私が歌舞伎ファンで、猿之助は真に歌舞伎のためを思って獅子奮迅の活躍をしてくれていると思っていたから。特に昨年夏の「ああまた、コロナで陽性者が出た。また休演か」となったときに、代役をたてて、なんとか幕を開け乗り切ってくれたこと。

猿之助は、1部と3部に出ているのに、2部の準主役を代役でやってのけたのだ。
詳しくはこちらの記事を読んでほしいけれど、

munakatayoko.hatenablog.com

 

あのときの猿之助の気迫と真摯な気持ち。


代役初日には、最後に花道に出てきて「こういう状況で、お目汚しの部分もあったかと思いますが、どうか歌舞伎をこれからも支えてください(意訳です)」という挨拶をしたとのこと。
「陽性者出ました、休演です。みんながっかり。暗くなる。」ではなく、逆手にとり、本役より、おもしろくしてやろうぜ!という気迫が素晴らしいと思う。応援したい。

って私は、上記のブログで書いている。

私は、猿之助の「歌舞伎座以外の公演」は観ないけれど、今回明治座では「猿之助奮闘公演」って奮闘の文字があったから、いかにも猿之助らしい奮闘を見たくて、4月も5月も買ったのだ。

 

それなのに。

 

やっぱり悲しく、悔しく、腹も立ち、そして思うのだ。「なんで?」