2月2部の船弁慶が話題である。五世中村富十郎の十三回忌追善狂言として、富十郎の当たり役としていた「船弁慶」を長男の鷹之資が踊る。
鷹之資は、富十郎が69才の時に生まれた子で、それこそ富十郎は目に入れても痛くないほどかわいがっていた。孫のような歳の差だったから、この世で一緒にいられた時間はそうはなく、鷹之資が12才の時に亡くなってしまった。
先日NHKのニュースで今回の船弁慶のことを報じていたがその中で、幼き鷹之資(本名大)に「大ちゃん、船弁慶やる?」「うん!」なんてやり取りが残っており、胸が熱くなる。
あんなかわいくて小さな大ちゃんが、もう歌舞伎座の大舞台でしっかりと船弁慶を踊るとは。若干23歳堂々たる船出である。
哀しみの静と荒れ狂う知盛との二役が眼目
頼朝に疎まれて、九州を目指す義経一行は、大物浦に到着する。ここから静御前は都へ帰れということになり、別れの舞を舞う。
舟長に促され、船に漕ぎ出した一行だが、波が荒れ狂い、そこへ平知盛の亡霊が現れるというもの。この静御前と、平知盛をどちらも一人の役者が演じるのが「船弁慶」。
全く異なるキャラの演じ分け、踊り分けがどれだけできるかというのが見どころ。
間狂言は舟長と舟子が出てきて軽やかに踊る。
鷹之資にとっての船弁慶とは
私は残念ながら富十郎の船弁慶は映像でしか見たことはないけれど、これから鷹之資、何度も何度も踊るだろう船弁慶の最初(昨年自主公演で踊っているが、本興行では今回が初めて)に立ち会えてよかった。
真摯でまじめに取り組む鷹之資くん。12月に能を観に行ったときにその姿を見かけたので、たくさんの舞台を観て、練習を重ねて来られたのだろう。
何といっても習うべきお父さんはすでに亡く、しかし踊りの名手だった富十郎の面影を見出したいファンの期待は高い。そこに到達しようとする志は、生半可なものではないと思う。最近、とても顔が引き締まってきたと感じる。踊りもうまいし頼もしい限り。
ぴりりと引き締まる舞台
さて、冒頭出てくるのは、弁慶。
「かように候ものは、西塔の傍らに住まいする、武蔵坊弁慶にて候」
ああ。又五郎が威厳があってよい。朗々とした声で舞台を厳粛な雰囲気にまとめピりっと引き締めた。
静々と静が登場する。又五郎の声もよかったが、鷹之資のすばらしくよく通る声は、富十郎のDNAか。やはり役者は声だなあと感じる。
丁寧な静の舞
どこまでも義経についていくつもりだった静だが、ここで別れるように言われ、哀しみのうちに烏帽子をつけて、舞う。
〽春の曙白々と
で大きく手を広げて始まる静の舞。
このとき烏帽子をつけるときの後見がいてう。
切々と踊り、衣裳は華やかだけれども義経との別れに切なさを感じさせる。
最後に花道へ。想い千万で義経のほうへ振り返るが、弁慶に「ダメダメ」というように「名残を惜しむ静の心中、実にもと推察いたせども、もはや時刻の移りて候」なんて言われてあら、ぜひもなや~~。
義経も、四天王にガッツリと通せんぼをされて、ぜひもなや~~。
軽やかな間狂言
間狂言は、義経たちを舟に乗せていく舟長三保太夫が松緑。舟子岩作が種之助。舟子浪蔵が左近(松緑長男)
漕いでも漕いでも波がどんどん高くなって、船が進まないということを表現するのが
「ありゃありゃありゃありゃ、浪よ浪よ浪よ浪よ。しーっ」
あれ、見慣れぬ雲が出た。
見る間にだんだん広がってきた。
ぐんぐん迫ってくる黒雲。そこに弁慶は、平家の公達一門が浮かび上がってくるのを見る。
ぐんぐん広がる黒雲に一生懸命漕ぐ舟子たち。ただの棒を使って漕いでいるところを表現するが、ただ上下に動かすだけでなく、上を見て下を見て、背筋を使って、しっかりと漕いでいる種之助がうまい。力がこもっているのに踊りに余裕があって楽しそう。どんどん荒れてくる浪が目に見えた。舟子たちは、退場していく。
地獄の底より知盛登場
太鼓と笛がますます高くなり、花道よりいよいよ知盛が出てくる。
七三でとどまり、地獄から出てきたような声で
「その時義経少しも騒がず~」って義経が言ったのは、発声が「?」な感じだし、なぜ義経が言うのか?違和感がぬぐえなかった。
この後は、弁慶との戦いで弁慶又五郎は、9月の藤戸のときのように数珠ひとつで悪霊を鎮めていく。
かーっと口を開けて苦しむ知盛の霊。
一調一管の出打ち
最後の引っ込みは幕が引かれ、幕外で太鼓と笛の一調一管の出打ち。太鼓の皮も破れよ、笛も砕けよというほどの素晴らしい迫力で鷹之資をサポート。
知盛の霊はもう一度、もう一度と憎き義経の元へと目指すが、もうかなわない。
花道横の席にいたら、ぶんぶん振り回す長刀がさぞかし怖かろうとおもうほど荒れ回り、波の渦に巻かれるようにぐるぐると苦しみながら揚幕へ。
じっと見守る後見いてうが印象的だった。
型の違い
團十郎の型は、長刀を弁慶に祈り落とされて、太刀を首にあて、花道の付際から揚幕まで、両手をかけてグルグル回りながら引幕一杯に引き込むのであるが、波の渦に巻かれる心で廻るのだという。
六代目(菊五郎)は、これを変え、引っ込みを幕外にし、刀のかわりに長刀を使った。笛と太鼓の一調一管の出打ちで荒レの鳴り物を奏すると、花道の半ばまで長刀を振って六方で荒れ廻り、そのあと巴になってグルグル廻りながら揚幕へ入るという演出にしている。
これは前半が能の雰囲気が濃いから、最後に歌舞伎らしいところを見せようとしての工夫だと言われている。
これは東京創元社の名作歌舞伎全集第十八巻の解説(山本二郎)からの引用なのだけれど、おかげさまで歌舞伎の演出に陶酔した。
ところで、この名作歌舞伎全集の「船弁慶」を参考に読んでみると、今の船弁慶はがっぽりカットされていて驚くほどだ。特に前半。とはいえ違和感はなく楽しめるので、こうやってどんどん変化していくのだなと納得もしたり、妙に寂しくもあったり。