大阪の国立文楽劇場にて。
目が不自由な沢市と沢市を支える女房お里。お里は毎日明け方になると家を抜け、壺坂観音にいき、沢市の目がよくなるようお参りをしていました。
ところが、毎晩明け方になると家を出ていくお里を、浮気でもしているのではと疑った沢市が問い詰めてしまいます。お里は理由を話し、ふたりでいっしょに壷坂権現にお参りに行くことに。
三輪太夫さんになって
〽たどりゆく
から始まる参詣の道は、どんどん迫力が増していきました。二人で歩く道ながらすでに沢市はお里への申し訳なさと眼病が治らない絶望とで、自殺を決意しています。お里は治したい一心で南無阿弥陀仏を唱え続けています。
沢市は絶望の果てに、お里をいったん家に帰らせたあとに谷から身投げをしてしまいます。
もどったお里は谷底に横たわる沢市を発見。後を追い、身を投げます。
文楽人形ががけから飛び降りるところは、本当に人が身を投げたようでした。
最悪の結末かと思いきや。
その後、雲の間からぱあっと光が差し、観世音菩薩が現れます。
「頃は如月、中空や、はや明け近き雲間よりさっと輝く光明に、連れて聞こゆる音楽の音も妙なるその中に、いとも気高き上臈の姿を仮に観世音」
と美しい情景が語られます。
そして観世音は、二人とも今日までの命だったけれど、
「妻の貞心と日頃念ずる功徳にて、寿命を延ばしあたふべし」
といってかき消えます。
観世音の功徳で2人は息を吹き返し、沢市の目の病気は治り、大喜び。
「お前はまあどなたぢやへ」
「どなたとは何のいの。コレ私はお前の女房ぢやわいな」
「ええ、あのお前がわしの女房かえ。これはしたり。初めてお目にかかります」
なんて会話があり、二人は喜び驚き踊ってその幸せをいっぱい表現するのです。
沢市とお里はいつまでも幸せに暮らしましたとさ(とは書いていないけれど、きっとね)。
そんなお話です。
文楽って悲劇が多いけれど、このお話はまるで日本昔話かな?と思うようなあっとおどろくファンタジックな展開でめでたしめでたし。
ああよかったよかったと終われるお話でほっとします。
歌舞伎では2005年に国立劇場の歌舞伎鑑賞教室で上演されたようですが私は見ていません。身投げのところなどはどんなふうに演じられたのかな?と興味がわきます。
歌舞伎では見ていませんが、2021年10月の江戸糸あやつり人形結城座では「壺坂霊験記」を見ています。
そのときの記事はこちら。そのときに、沢市が目が見えないときと見えたときでは、人形も違うし、視線の置き方も違うという演者の方の話が面白かったです。
なんとなくですが、歌舞伎より人形の方がいいような気がします。
今回の技芸員
前 豊竹藤太夫
竹澤団七
後 竹本三輪太夫
鶴澤清友
ツレ鶴澤清允
人形 女房お里 豊松清十郎
座頭沢市 吉田簔二郎
観世音 吉田玉征(5日~15日) 桐竹勘昇(17日~27日)
(国立文楽劇場にて。観劇は11月11日だったので、玉征さんでした)