「初めての歌舞伎を楽しもう」munakatayoko’s blog

すばらしき日本の芸能、歌舞伎。初心者にわかりやすく説明します♪

行って来た!中村種之助「踊りの会」

8月6日(金)、7日(土)中村種之助「踊りの会」に行って来た。

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 この夏歌舞伎界の自主公演は3つ。そのうちの2つ目だ。

 

新型コロナウィルス感染が急拡大する中、市川弘太郎の自主公演に引き続き、よく開催にこぎつけたものだと思う。あっぱれ。3つ目は松也の公演で13日から22日。無事に全日程開催されますように。

 

パンフレットは簡素にしてシンプル。

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見開きペラ一枚。

本人の気持ちだけではなく、やるかやらないか、できるかできないかのせめぎ合いは、たくさんの局面であっただろう。無駄なことは一切削って削って削って、その結果、種之助の「いい役者になりたい。」というシンプルな思いだけが、「すーっと木を彫ったら仏像出た!」みたいに現れたパンフレットとなった。

誤解のなきように書いておくが、紙の真ん中に「いい役者になりたい」とのみ書いてあったというわけではない(笑)。

 

「中止になっても構わない、稽古した、稽古していただいたことが今後の自分の糧になると信じて今日までやってまいりました」という思い。そして、関わってくださった方への感謝と、ご恩返しは「この会にかかわるすべての皆様が誇りに思えるような立派な役者になることだけだと思います」という決意。

 

双蝶会のパンフレットでも表紙の絵は種之助が描いたりしていたので、ちょっと絵に期待をしていたんだけれど、「おおお。そこまでの決意の表れね」と、観る前からこちらまで身が引き締まる思いがしたのだ。 

 

演目は「子守」「まかしょ」そして大作「春興鏡獅子」。「子守」と「まかしょ」は素踊りだった。素踊りというのは化粧でごまかせない分、踊りの技術がものを言う。

子守

子守の女の子が、とんびに油げをさらわれて追いかけて上手から出てくる、ころんでひざをすりむき、さらに追いかけようとするけれど、背中の赤子が泣くので、あわててあやす。

赤子を下におろして、人形を出してあやしたり、人形を抱いて恋する気持ちは三味線に乗せてしっとりと踊る。

 

10歳過ぎたくらいの女の子って、とてつもなく子どもっぽかったり、急に大人っぽくなったり、アンバランスなところがある。お人形であやすところは、赤子をあやしつつ自分も楽しんでいるように見えるし、恋なんて知らないだろうに、恋に恋してちょっと背伸びしたいのかな。そんなアンバランスな女の子の感じがとってもよく出ていて、カラッとかわいらしい子守だった。最後はまたトンビが出てくるので、追いかけて去っていった。

まかしょ

まかしょというのは、願人坊主の持つ牛頭天王神仏習合の神)のお札を、子ども達がせがんで「撒いておくれ(まかしょ)」といったことからきている。

 

錫杖を、ガシャガシャと突きながら、勢いよく花道を走り込んできた願人坊主の種之助。願人坊主というのは、「神仏に祈願する人」という意味だが、江戸時代には参詣や祈願を代理でおこなったり、はては様々な芸を門口に立って行って金品を受け取ったり、往来で大道芸をしたりする少々怪しげな乞食坊主がいたそうだ。

 

この少々品のなくて酒と女が好きな乞食坊主が、吉原の女たちの柳腰やらにぽーっとなったり、酒のにおいを捜し歩いたり、そんな景色を読み込みながら軽快に踊りおさめた。

 

全くもって軽やかで、特に二日目は緊張が解けたのか子守もまかしょもとてものびのび踊っていた。(観る側(←私)も安心して見ていられたからそう感じたのかもしれない)

 

まかしょの詞章と現代訳には、こちらの記事が大変に参考になった。ぜひ読んでほしい。

https://mizuki-kasou.blogspot.com/2018/12/blog-post_15.html

春興鏡獅子

最初に出てくる困り切った弥生の顔が、なんともかわいらしい。着物は薄紫。帯は後ろに播磨屋の紋である揚羽蝶があしらってあり、帯の下にもオレンジの一本の帯(専門知識がなくて恥ずかしいが、蝶結びの帯が)とてもかわいらしかった。

 

春興鏡獅子について、詳しくはこちら。

munakatayoko.hatenablog.com

今回の胡蝶は、亀三郎クンと藤間康詞クン。康詞クンは藤間流宗家の御長男。この胡蝶の二人がまたかわいくて。亀三郎君は5月に引き続き2回目の胡蝶で、表情一つ変えることなく、クールビューティーの姐さんのように康詞クンをリードしており、とても頼もしかった。康詞クンはかわいらしく、楽回には、にっと微笑むこともあり、とても楽しそうに舞っていたのも印象的。

 

種之助は、弥生はかわいらしく、獅子は堂々と凛として。なんと初回の獅子のとき、胡蝶の精とくるりと回るとき、手を添えながら微笑んでいた。まるで胡蝶をいとおしむようなお獅子は私も初めて見た。

2日目の楽回では、キリリとしたお獅子だったので、あれはうっかり微笑んでしまったのだろうか、それともあれこれ試してみた結果なのだろうかといろいろ考えてしまうが、私は「微笑みのお獅子」も悪くなかったと思う。どうなのだろう。どんな真意があったのか種之助には聞いてみたい。

 

そして一本足で立つラスト。長かった!特に初回。思わず三番叟を思い出した。

 

今まで観てきた種之助の、浅草での操り三番叟、浮世風呂のなめくじ、浅草での番町皿屋敷のお菊、双蝶会の一条大蔵譚での大蔵卿、傾城反魂香での女房おとく、そうだ、狐忠信もやった。ナウシカの道化、さまざまなお役柄がまざまざと脳裏によみがえる。すべてを吸収し、蓄積させ、少しずつ引き出しを増やしつつ、お稽古を重ねて今日の舞台に出し切った。出し切ってばったり倒れていてもおかしくないから、カーテンコールもなし。どんなに拍手万雷でも二度と現れなかった。もともとそういう役者なのだ。

 

あれこれSNSで発信する人もいるし、私生活を公開する人もいるが、種之助はそこはぴっしゃりと閉じている。人それぞれなのでどれがいいとか悪いとかではないが、種之助は閉じている。

ただ踊りが好きで、芝居は目指す人を目指して精進する。そんな種之助をこれからも誇りに思うし、応援したい。

事前の取材の様子はこちら。

https://www.kabuki-bito.jp/news/6834/

 

今頃どうしているのやら。お礼のご挨拶回りとかかな。それもすんで、抜け殻かな~~。それとも8月の歌舞伎座に出ている甥っ子綜真くんのサポートだろうか。

 

お疲れさまでした。ゆっくりお休みください。