「初めての歌舞伎を楽しもう」munakatayoko’s blog

すばらしき日本の芸能、歌舞伎。初心者にわかりやすく説明します♪

『傾城道成寺』雀右衛門所縁の人々が華やかに彩る

今月の昼の部の二つ目の演目は、四世中村雀右衛門十三回忌追善狂言として「傾城道成寺」がかかりました。

f:id:munakatayoko:20240325213853j:image

f:id:munakatayoko:20240325214016j:image

 

四世中村雀右衛門(1920~2012)は、昭和2(1927)年に初舞台を踏んでから立ち役を中心に活躍していました。昭和15(1940)年に兵役につき、南方戦線をまわり、スマトラ島終戦を迎え、昭和21(1946)年帰国。翌年から舞台に復帰しましたが女方に転向。その理由に戦争体験があるのかはわかりませんが。

 

雀右衛門は、関西で様々な人の相手役をすることで芸域を広げたそう。

 

そんな雀右衛門が大切にしたのが「道成寺物」。「道成寺」は『京鹿子娘道成寺』が有名ですがそのほかにもたくさんの道成寺ものがあります。大概、道成寺と言えば、安珍清姫の後日談で、焼き払われた鐘を新調したところにやってきた白拍子花子が、実は清姫の霊だった(ものによって狂言師だったり)というものですが、今回の『傾城道成寺』はちょっと違って、島原の廓の揚げ屋が舞台です。そこにいる傾城清川というのが、清姫の霊なのです。

 

今回は、息子の5世雀右衛門大谷友右衛門、その息子の廣太郎、廣松も勢ぞろい。また安珍松緑、導師尊秀が菊五郎童子花王童子駒王が亀三郎、眞秀で、華やかに彩りを添えました。

 

古い台本、筋書きを観ましたが(昭和40年・昭和56年)尊秀や童子が出ていなかったので、今回は特別バージョンのようでした。(平成11年の国立劇場のものは未確認)

 

美しい傾城清川と、端正な安珍、どっしりとした落ち着きのある尊秀とかわいらしい童子たち。そして珍しい二人の女後見も、てきぱきとした仕事ぶりでした。

 

安珍が実は平維盛というのが、なんともすごい設定です。