今月の能は定例公演に行ってみました。
初心者の私が、毎月何かしら引っかかるワードに基づき1ヵ月に1度見る能。今月引っかかったワードは「角田川」です。
角田川は、隅田川のこと(能の世界では金春流のみ「隅田川」ではなく「角田川」という表記だそうです)
歌舞伎では「隅田川」といえば、隅田川の世界が構築されているくらいポピュラーなもの。能の隅田川の話が縦糸となって、さまざまな話が「趣向」という形で横糸となって紡がれています。
昔の人は隅田川の話はよく知っていましたから、梅若とか惣太といった名前が出てくるとはは~ん。こいつは死ぬな、こいつは悪い奴だとピンときたのです。
ちなみに、『桜姫東文章』の桜姫の弟は梅若。釣鐘権兵衛もとの名はしのぶの惣太。そのほかにも『法界坊』『都鳥廓白浪』などにもそれらしい人物が登場します。
その大元となっている演目とあれば、見ないわけにはいかないと、こちらを見ることに決めました。
まずは狂言の「長刀応答」です。
狂言・長刀応答(なぎなたあしらい)
伊勢神宮への参詣を思い立った主は、太郎冠者に留守番を命じて出かけます。「我が家のサクラを見物しに来る客は“長刀応答”しておけ」と言って出ていくので、太郎冠者は来る客来る客に、ぶんぶんと長刀を振り回してしまいます。実は「長刀応答」というのは、「適当にあしらっておけ」という意味。それを本物の長刀を振り回してしまうという滑稽なお話です。
現代でも言い間違い、聞き間違いをネタにしたお笑いのネタはありますよね。アンジャッシュの芸風のルーツかな?なんて思いながら楽しく見ました。
能・角田川・あらすじ
都から旅人と女がやってきます。女は我が子梅若丸がいなくなったため、探し求めてやってきたのです。渡し守は女に「うまく踊って見せれば船に乗せよう」と言い、女は踊ります。その姿に心を打たれた渡し守は舟に乗せてやりますが、対岸から念仏の声が聞こえてくる。
それは歩けなくなって人買いに捨てられた少年の供養でした。少年が死んだのはちょうどその日の1年前の3月15日。
女はその少年の父親の名前、少年の年、そして少年の名前を聞き、まさしく我が子だったことを悟ります。
梅若丸の墓にいき、念仏を唱えていると塚の中から梅若丸の幻が現れます。思わず近寄る女ですが、触れようとしても触れることができない。次第に東の空が白み始め、幻は消え、そこには草ぼうぼうの塚があるのみでした。
悲しい!悲しすぎるお話ですよね。奇しくも今回『角田川』が上演されたのは、梅若丸の命日である3月15日。今でも隅田川近くの木母寺(もくぼじ)には梅若塚が残されているそうです。
伊勢物語では、在原業平が都から東へ下る途中で「名にし負はばいざ事問はん都鳥 わが思ふ人はありやなしやと」とうたいますが、『角田川』ではその歌に自分の旅を重ねつつ、女は舞うのです。
我が子が死んだと知ったあとで、念仏を唱えていると「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」という声が聞こえてきます。低い地謡の声に混じって聞こえるツーンと高い声に、はっとすると子方(子役)が登場します。ああっと心が動かされるのは母親も観客も同じですが、それもほんのつかの間、母が抱き寄せようと近づいても近づいても子どもはするりするりと実体がないようで、抱いてやることもできません。とてもつらいところでした。
「また消え消えと失せければ、」でふっと子方は消えてしまいました。
「いよいよ思ひは増鏡。面影も幻も、みえつ隠れつするほどに、東雲の空もほのぼのと、明けいけば跡絶えて 我が子と見えしは塚の上の草、茫々としてただ、標ばかりは浅茅が原と、なるこそ哀れなりけれ。なるこそ哀れなりけれ」。
悲しいですね。とても悲しいです。
ただ、一番感情的に盛り上がる
シテ「父の名前は」
ワキ「吉田の某」
シテ「稚児の年は」
ワキ「十二歳」
シテ「その名は」
ワキ「梅若丸」
という、一番気持ちが上がっていくところで
シテ「その名は」
ワキ「梅若丸」
がすっ飛んだのは興ざめでした。
(もちろん「その名は」が抜ければ「梅若丸」という答えは出てきません)
とはいえ、今日は狂言・能ともに寝なかったのが収穫!
『隅田川』はほかの流派でもまた観たいと思いました。