松本城に行ってきました。
姫路城とは対照的
真っ白の姫路城とは真逆な漆黒の城。だが美しいです。
駅からズドーンと見える姫路城。近づいてるはずなのになかなか姿が見えない松本城。それも敵を撹乱する目的だとか。
やっと姿を現してくれました。
天守6階まで上る
2階には、火縄銃や関連資料が豊富に展示されています。3階は、窓が暗くて、寒さが身に染みます。特に足が冷たくて冬場に行く時は厚手の靴下が必要だなと思いました。
そういえば京都の寺に行った時もそんなことを思ったのでした。昔の人はどれだけ寒さに強かったのか。。
小さな窓から敵の様子を伺います。
でも堀がかなり幅広いので、そう簡単には敵も来られないでしょう。敵は、堀を渡り切っても石壁を登らなければなりません。城側からは石落としや狭間から石を落としたり、鉄砲を打ったりするので、かなり生存率は低そうです。
4階から5階に行く階段がめちゃくちゃキツくて、10年後には来ることはできないぞと思ったり。
最上階は、天守6階。眼前に城下町。はるか彼方にアルプスも。
気持ちの良いお城でした。
堅固な城でしたが、実際に戦にはならなかったそう。太平の世になってからは、お月見をするための「月見櫓」なんて造られました。
戸を開けると三方吹き抜けになるという開放的な場所。優雅ですね!
感動する城とは
私はそれほどお城マニアというほどではありませんが、いくつかのお城には行っています。特に感動しない城もあるのですが、そのよしあしは近代化されているかどうかかな。明るくてエレベーターがあってスーッと天守閣まで登れてしまうところは、あまり感動できないんですよね。
やはり、当時の人と同じようにツルツルになった手すりを握りしめ、ギシギシと暗い階段を上り、上まで上がらないと気分が出ません。だって高いだけなら現代の方がよほど高い場所はありますからね。
エレベーターを作ってしまうところは、お年寄りや足の不自由な方に配慮した結果だと思うのであまり批判はできないのですが、せめて自分は足腰が丈夫なうちに、あちこちのお城に行ってみたいなと思います。(あと冬は厚手の靴下ね。上履きでもいいそうです)
松本城の歴史
元々造られたのは戦国時代の深志城。その後豊臣秀吉が天下統一をして、徳川家康は江戸へ。松本城城主だった小笠原氏が家康に従って下総に行き、その後城主となったのは石川数正。
石川数正は昨年の大河ドラマ「どうする家康」で、松重豊さんが演じていましたねー。
この石川数正が、松本城と城下町の発展に貢献して、数正の息子康長の代には、天守閣や、御殿、太鼓門、黒門など作ったそう。活気のある城下町の整備も進めました。
松本藩の歴代の藩主というのは六家あり、その家紋を示した灯り?が街のあちこちにありました。
六家とは、石川氏、小笠原氏、(先)戸田氏、松平氏、堀田氏、水野氏、(後)戸田氏です。
保存に尽力した人
でも、今このお城を見ることができるのは、保存に尽力した人がいたからです。
ひとりは市川量造。明治時代に松本城天守は売却・破壊されそうになりましたが、市川量造は天守を買い戻し、保存に尽力したそうです。
▲嘆願書が天守6階に飾られていました。
もう一人は松本中学校長だった小林勇也。1901(明治34)年に天守保存会を設立して12年かけて大修理を行い天守を倒壊の危機から救ったそうです。
こういう志を持った方、気骨のある方たちの尽力のおかげで今こうして歴史と文化を享受できるわけですね。
私が何を言いたいかというと、「国立劇場、なんとかしてくれ」であります。建物は残っていますが、使われない建物というのはどんどんと朽ちていくもの。あまりにももったいないこの現状。何とかしてほしいものです。
お二人の努力を知るだに、国立劇場のことを思わずにはいられませんでした。