『籠釣瓶花街酔醒』はあでやかな花街、吉原が舞台です。衣裳も豪華で出てくるし、出てくる花魁たちの美しいこと。
でも吉原の実態といえば女性を品物のように扱う性搾取の世界。花街は「苦界」とも言われました。では、『籠釣瓶花街酔醒』では表面的な美しさばかりで、吉原の残酷さは描いていないのでしょうか?そんなことはありません。
籠釣瓶の中のセリフから、華やかな吉原の影をさがしてみましょう。
「苦界の楽しみというのはこうまで実を尽くすものかねえ」
繁山栄之丞の世話をしている雇い女おとらさん。毎日好きでもない男と枕を交わさなければいけない遊女たちの楽しみというのは、好きな男の存在だけなのだと言っています。間夫はのんきに湯にはいって好きなことをしていますが、女たちはその愛情をつなぎとめるために、着物を作ってやり金をだしてやって尽くすのです。身請けは、年季が明ける前に吉原から出るチャンスでもありましたし、次郎左衛門は器量こそよくありませんでしたが、金はあり親切な男でしたから八ツ橋としても、断りたくなかったはずです。吉原から出られれば、栄之丞と会うすべはいくらでもあったでしょうから。しかし、栄之丞に迫られて愛想尽かしをする。八ツ橋にとってもツライ決断でした。
「これは売り物買い物だから、わしが来ぬ時お買いなさいよ」
これは強烈な一言。次郎左衛門の連れてきた商人の一人が八ツ橋の美しさをほめ、もう一人が「ほめてはならぬ。佐野さんのいい人だから(意)」とたしなめたときのこと。
上述のように、八ツ橋のことを次郎左衛門がこう言うのです。
もちろん次郎左衛門の本心ではありません。目が泳いで声が上ずっています。次郎左衛門は純粋に八ツ橋を愛し、他の男と寝る八ツ橋なんて耐えられないに決まっています。けれどもこれこそが、当時のこの世界の常識なのです。商品だもの。自分がいないときならいつでも買えばいいですよ。次郎左衛門が図らずも言った言葉に、当時の常識が見えます。
「私はつくづくイヤになりんした」
八ツ橋は、自分の気持ちに反して愛想尽かしをしました。そして、部屋を出ていくときにこう言います。このセリフは、次郎左衛門のことがつくづくイヤになったとも取れないこともありませんが、本心はつくづくこんなことまでしなければいけない自分が、自分の境遇が、花街すべてが嫌になった。そういっているのでしょう。今まで八ツ橋を演じた誰よりも悲しそうに見えた七之助の八ツ橋でした。
「吉原花魁日記」
吉原がいかに過酷であったかということについては、こちらの本が強烈でした。
大正13年、吉原に売られた少女がつづった日記です。吉原を脱出して、柳原白蓮のもとに逃げ込み、2冊の本を世に出しました。
吉原賛美はできませんが、さりとて吉原に関連するものをすべて否定することも私にはできません。こういう事実もあったことが頭の片隅にあると、八ツ橋の哀しみや苦しみにも一歩近づけるのではないかなと思います。
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