「初めての歌舞伎を楽しもう」munakatayoko’s blog

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『熊谷陣屋』~悲しみを内に秘めて大きく。次のステップへつながる熱演

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『熊谷陣屋』は、ちょっと今の時代の価値観では計り知れないお話なので敬遠される方もいるかもしれません。

 

あらすじと見どころ

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munakatayoko.hatenablog.com

価値観は違っても我が子を失う悲しみは同じ

今の世の中で、いくら上司の言いつけだからといって「敵の敦盛をひっとらえたらそれは殺さず自分の子どもを討て」なんて、聞くことができないのは当たり前ですが、だからと言って、この芝居を全否定するというのは、少し違うと思うのです。

 

今年は元旦から大きな災害があり、たくさんの命が奪われました。熊谷直実も理不尽な理由により、子どもを亡くした一人の親に違いありません。

 

目の前で子どもが車にひかれて死んだ年末の事件。元旦に実家に帰省した子どもを家もろとも失うこととなった災害。もしかしたら「帰省しないよ」と言っていたのを無理やり「そういわずに帰って来なさい」なんて言った親もいたかもしれず。妻の実家に妻子どもが全員が行っていて、全員が亡くなってしまったという男性の方がテレビに映っていました。

 

ウクライナでガザで、多くの人が戦争によって命を落としています。中にはこの世に生を受けていくらも時間がたたないうちにその命を絶たれた子も。

 

たとえ、自ら刃を向けて斬りつけたのではなくても、深い絶望と悲しみのどん底にある人は、今この瞬間にも世界中たくさんいます。『熊谷陣屋』はそんな人たちの心に寄り添う芝居なのだと思います。一緒に泣いてくれる芝居なのだと思います。そして、子どもが死ぬということほど悲しいことはないわけで、その点は3人の子の父である歌昇が一番役になりきることができるでしょう。

熊谷直実歌昇

今回の浅草メンバー9名のうち、子どもがいるのは歌昇と巳之助のみ。熊谷直実を演じるにあたって、子どもがいるかどうかというのは大きいのではないかなと思います。

 

もちろん播磨屋の看板を背負って、吉右衛門の芸を継ぐという使命感もありますから、

沈痛な出。戦場に来た相模を一喝。相模や藤の方にそれぞれ違う言い方で「お騒ぎあるな」と制する。「この首いかに」と義経に迫る。

これら、ひとつひとつ丁寧にまずは播磨屋型の熊谷直実をなぞって、歌昇は大きな成果を上げたと思います。これからまだまだ長い時間をかけて、彼の熊谷直実を作っていくことと思いますが、次のステップにつながるよい直実だったと思います。

最後の花道での「16年はゆめじゃ、ゆめじゃ」はもう涙なくしては観られないほどの熱演。じゃんじゃんじゃんと戦場の音が聞こえてきて、行かなければと反射的に思い、いやもう行かなくていいのだと耳をふさいで走り去っていく姿に、思わずハンカチを握りしめました。

藤の方(莟玉)

いきなり出てきて直実に斬りつけるというむずかしさについて、配信で莟玉は語っていました。確かに前段があればわかりますが、この突然の乱入は知らない人はビックリしますね。

藤の方の感情も起伏が激しいです。隣の部屋で熊谷が相模に敦盛の最期について朗々と語るのを聞き、憎し熊谷!となって、出てくる。敦盛への想い、青葉の笛を吹き、いるかと思った敦盛がいなく落胆。そこから首が敦盛のそれではないと知ったときの驚き、そして喜び、感謝、相模への想いなどと複雑に変化していきます。

切なく、胸が絞られる演技をこなしていました。

ちなみに莟玉さんにお子さんはいませんが、かわいい姪っ子さんを想いながら演技をしたということです。(配信で語っていました。有料配信で語ったことはあまり言ってはいけませんが、これくらいならいいかな?)

相模 (新悟) 

新悟は、昼の部の濡衣に次いでこれまた大活躍。最初は、藤の方(恩義がある)の子が亡くなったと知り、悲しみをこらえて、どうなぐさめようか、どう寄り添おうかと思っていたのに、実は亡くなったのは自分の子どもだったという時の、驚きと悲しみやいかほどか。それをよく表現していたと思います。

首の真下をがっちり持ったり、蓋に載せた首がまっすぐでなく落ちそうになっているのは、ちょっと良くないと思いました。

義経 (巳之助)

これがまたいいのですよ。巳之助クン。気品がありクールなお役です。「一枝を斬らば一指を切るべし」と、子どもを身替りにせよというメッセージを送っているわけですが、直実は本当にそのメッセージがそうかどうかちょっと自信がない。

直実は、「これでどうだ!」と首実検の場で、偽の(自身の子の)首を義経に見せます。すると、義経は、偽首と分かりながらも「敦盛の首に相違ない!」と認めるのです。ここも決まりました。

クールな義経ですが、その後弥陀六が出てきたときに「爺や」と一瞬見せる甘い顔にグッときました。

 

梶原景高(吉之丞)

頼朝に注進に行こうとして走り出し、弥陀六の投げた石鑿にやられ、花道の奥で息絶えます。あっという間の出番ですが、吉之丞さんは、あれ?歌舞伎座にも『荒川十太夫』で出ていたのでは?そうなのです。かけもち。昼の部の『荒川十太夫』に出たあと、浅草へ。梶原景高として討たれて死にます。お疲れ様です!ますます吉右衛門さんに似てきて素敵です。

 

弥陀六(歌六

さすがの人間国宝。ただものではない感がすごいです。弥陀六は、じつは平宗清。平家方の人間ですが、昔義経や頼朝を助けたことがあり、そのため平家が滅ぼされたことを悔やんでいるのです。そんな弥陀六への恩を忘れなかった義経は、弥陀六へ鎧櫃を渡すのです。その中にはほんものの敦盛が入っていました。

律儀な弥陀六の後悔や人生がしっかりとにじみ出てくる演技で、舞台がグンっと締まります。

 

そんな鎧櫃に16歳の男性が入るんか~い!とか、弥陀六みたいな爺さんがしょっていけるんか~い!とかいう突っ込みはなしでお願いします(笑)。

 

いずれにせよ、名作。播磨屋が大切にしている演目でもあり、必ず何年か後にはまた上演されることと思いますので、その時はまたこのメンバーで見て「あの時もよかったけれど、また成長したな~」と言いたいですね(^^)/