新国立劇場初春大歌舞伎の『石切梶原』とてもよかったです。
梶原菊之助をずっとガン見
2回観ましたが、1回目は2階。2回目は1階のど真ん中の席。梶原はほとんど動かず中央にいるので、私もずっとオペラグラスを抱えて菊之助の梶原をガン見しました。表情のわずかな動きに、驚き、苦悩、考慮、決意、喜びなど垣間見えてとてもよかったのです。
目利きをして、一目で名刀とわかったときの喜び。思わず口にくわえていた懐紙を落として「見事」と言ってしまいます。
刀に「八幡」の字があることを観て、六郎太夫が源氏方であることを察して助けようと決心します。静かに。
二つ胴の試し切りをするとなったときに、我こそが斬らんとする俣野を一喝し、自分が斬ると言うときの迫力。思わず俣野はたじたじと後ずさり。
梢が、一旦家に帰ってまた戻ってくると六郎太夫が斬られる寸前。命乞いを必死にする梢に対し、梶原はゆっくりと話を聞きながら、何やら黒い紐をくるくる刀に巻き付けています。これは白木の刀の柄が割れないように下げ緒を巻き付けているのです、ていねいにていねいに巻き付けながら、心を整えているいいシーンです。ここでは梢の嘆願を無視している冷たい武将のように見えてそうではないことは、この後わかります。
二つ胴とは、2人重なっている人間の、上の人間だけ斬るという難しい技術。手前からズドーンとまっすぐ前に斬る播磨屋のやり方は、上から振りかぶって斬る型より地味とも言えます。しかし大上段に振りかざすよりリアリティがありますね。それもそのはず、初代吉右衛門は試し斬りの専門家に、どうやったら二つ胴の上の人だけを斬ることができるのかを聞いて型にしたとのこと。
地味かもしれませんが、客席に向かってズドーンと来るので迫ってくる迫力があります。
二つ胴のときに、上からハラハラと梅の花びらが落ちてくるのは、刀の霊力に当たって落ちることを示すスポットライトのような演出です。
2人を一刀で斬ることができなかったじゃないかと大場、俣野がせせら笑って退場すると、なぜ自分が源氏に心を寄せるようになったのかを六郎太夫と梢に優しく語りかけ、名刀であることを示すように石の手水鉢を斬ってみせます。
石の手水鉢を斬るときも観客を背にしてだーっと切るのが播磨屋型。手水鉢の後ろから正面に向かって切ると切り口がお客様に見えて嘘っぽいので、観客に背を向けて切り、手水鉢が左右に割れるという型にしたのも初代吉右衛門です。
「斬れ味見よや~」。梶原が今までの厳しい顔から一転、慈愛に満ちた表情に変わるのもまたいい。観客もほっとして思わず頬が緩みます。
一時は、刀の価値を認めてもらえず死まで覚悟した六郎太夫でしたが、梶原が刀の価値を認め、買い取ってくれるということで、梢ともども喜びながら梶原の後を追いかけて幕となります。
よかったよかった。
大場三郎景親(彦三郎)俣野五郎景久(萬太郎)
どちらも平家方の家臣で、憎々しい役どころを十分憎々し気に演じていてよかった(別にそんなに悪人というわけではありませんが)。彦三郎、萬太郎どちらも声がよくとおり、ピシッと型が決まっているので、舞台がピリッとしまったと思います。
六郎太夫(橘三郎)
なんとか、刀を売って300両を用立て、梢の夫に渡したいとやってきた六郎太夫。身を挺して刀の名刀であることを証明したいと思ったものの、二つ胴には失敗で、一度は死を覚悟します。梢を想う気持ちだったり、何とかして源氏のお役に立ちたいという気持ちが哀れを誘いました。
梢(梅枝)
昨日襲名が発表された梅枝だからいうわけではないけれど、本当に熱演で、父親思いのよき娘ぶりでした。しかし、襲名が決まっていたということでこの1月の公演は、並々ならぬ気持ちが入っていたのだろうとは思いました。それはにじみ出ていた、本当におめでとうございます。
今回は酒尽くしがなくて、ちょっと残念。
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