「初めての歌舞伎を楽しもう」munakatayoko’s blog

すばらしき日本の芸能、歌舞伎。初心者にわかりやすく説明します♪

『流星』~軽やかに4人を演じ分ける種之助

新春浅草歌舞伎の2部。『熊谷陣屋』でずっしりと重い狂言を観たあとにかかるのが、この『流星』です。肩に力がはいっていたのがすーっと楽になり、楽しい気分が観客席にあふれました。

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軽やかに踊る流星=種之助

織姫と牽牛に流星が隣の家に住む雷一家の騒動の話をするという趣向のこの演目。今回は一人立ちといって、織姫と牽牛がでないバージョンですので7月という季節感も不要ですね。

役者一人で父親雷、母親雷、婆雷、子雷を演じ分け。踊り達者、軽妙洒脱な種之助にピッタリの演目ですね。

 

ツイーンと雲に乗って飛んできた流星くん。すらりと降り立つとにこやかに。

(舞台中央までにすべり台のような仕掛けで来たと思うのですが、一度そのすべり台が壊れたのか、いきなりストンと舞台に現れて驚きました)

 

御注進!ご注進!と言って出てきますが、種之助クン、今回の浅草では白須賀六郎と流星の2役で「ご注進」ですね。ご注進というのは「ご報告」という感じでしょうか。

「聴いてください、織姫様彦星様、うちの隣の雷一家の騒動がね」と話し始めるというわけです。

 

こちらの演目でみどころは、なんといっても流星が4役を面をとっかえひっかえ踊りで演じ分けること。

4役というのは、父雷、母雷、子雷、婆雷です。

父雷は五郎介、母雷はおなる というネーミングも楽し。

雷一家の騒動とは

下界に落ちてしまった父雷が、雲をなくして帰れなくなり端唄の師匠のところに居候をして、毎日端唄を聞いているうちに、覚えてしまい、帰宅してからもついつい鼻歌にでてしまう。それで面白くない母、「そんなのろけた雷のなり様では、こわがるおへそで茶をわかそう」と言ったもんだから、五郎介どんも腹を立てて「出ていけ~」。

おなるさんは、

「いいえ、ここは私の家」と憤然として言い返すのが観客にめちゃウケていました(笑)

 

ゴロゴロ喧嘩をするうちに子供の雷、となりの婆も仲裁にはいり、大騒ぎに。

その後婆が倒れたり入れ歯を飲み込んでしまったりして、喧嘩どころではなく仲直り。

子どもの雷は「ゴロゴロ」と言えずに「コヨコヨ」といって、一生懸命喧嘩をとめるのがめちゃかわいい。

 

面は、舞台中央でほかの面をもって用意する後見さんの元に行って後ろをむき、さっと変えます。一瞬前に後見さんが演者に面を渡してあり、後見さんが顔の面を取るのと演者があらかじめ渡された面をつけるのが同時という感じで、サクサク進みます。

替わるのは面だけではなく体つきまで?

父雷のときは、四角張った大きな面で動作もドスドスいかめしい。母雷のときは、青っぽくて細い面で、女方の動き。婆のときは、腰も曲がり、子雷のときはかわいらし。

そしてうすい一枚の琉球風の衣裳で足も手もがっつりと見えるのですが、父のときは筋骨隆々、母の時はほっそりと、婆になればさらにしわだらけの手足、子どものときはひじにぷっくらくぼみがあるのではないかと思うほど、ぷくぷくに…

いえいえ。そんなに体形までかわるわけはないのですが、不思議なことにそう見えるほど、体つきが変わって見えました。不思議です。

隣に座った男性の方が、父雷から母雷、婆、子と変わるごとに

「ほぉ~」「ははっ(笑)」「へえ!?」

と小さな声をだして驚くので、私も楽しくなってしまいました。

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歌舞伎役者は大きく見えるのも小さく見えるのも、男になるのも女になるのも自由自在。すごいもんですね。

最後に面を取り、流星にもどった種之助。懐から手ぬぐいを出してパタパタとあおいで汗をぬぐい、話し終え、やんやの喝采となります。最後は

〽西へ飛ぼうか東へ飛ぼうか

どちへ行こうぞ思案橋

 

で花道を駆けていきます。

 

お年玉の口上で、米吉が「流星は流れ星です。最後に走り抜けていくときに皆さん3つお願いを唱えるのを忘れないように!」と言っていたので(笑)、私も祈ったのですが、七三で振り返って止まっちゃいましたよ。私の願いはかなうのでしょうか?(笑)

 

種之助は重力を感じないような軽やかな踊りに定評がありますが、まさに流星はそのうまさをいかんなく発揮できる舞踊でした。2020年の博多座での『流星』(演じたのは巳之助)とは振り付けも全く違うとのことですし、織姫、牽牛の出てくるバージョンもあります。いろいろな『流星』を今後も楽しみにしたいですね。

作者の河竹新七とは

安政6(1856)年、この作品は江戸中村座で初演されました。ところで、この楽しい舞踊の作詞は河竹新七。2世河竹新七とは河竹黙阿弥です。黙阿弥が黙阿弥を名乗るのは、結構遅くて明治14(1881)年ですから、今タイムマシンで江戸時代に行って「黙阿弥の芝居を観たい」と言っても通じません。なんだか不思議ですね。