11月の能の定例公演を観に国立能楽堂に行ってきました。
定例公演〇演出の様々な形
能 乱 置壺・双之舞
を観てきました。
流儀や家の違いで能狂言の演出はさまざまに変化します。特殊な演出を「小書(こがき)」といいます。
11月と12月とで同じ題材を違う演出でみるという面白い試みです。
今回の「乱」12月の「七人猩々」は、いずれも12月の歌舞伎座でかかる「猩々」でもあります。
11月、12月の能と12月の歌舞伎で観て、違いを楽しみたいと思います。
六地蔵
田舎に住む人が六地蔵堂を建立し、中に安置する自走を買うに都へやってきます。そえをしった都のすっぱ(詐欺師)が自分は仏師だと言って近づき、仲間のすっぱと相談して地蔵になりすまし、だまそうとします。ところがすっぱは3人しかいないので、場所を変えて3体ずつ見せることにし、3体ずつ見せては移動し、また3体の地蔵になりすまして見せるのですが、行ったり来たりするうちにだんだんこんがらがってしまいます。
数珠をもつもの、笠をかぶるものとそれぞれ違う地蔵なので、田舎人はいぶかしく思ってあっちへ行き、こっちへ行きとその都度大慌てで扮装を変えるというのがおもしろおかしく、まるで現代のコントにもありそうなこっけいさでした。セリフもゆっくりでわかりやすく楽しく見ることができました。
乱 置壺・双の舞~観世流
「猩々」
高風という親孝行な若者は夢のお告げに従って市場で酒を売ると、どんどん売れて金持ちになります。あるときいつものように酒を売っていると少年のような男がやってきます。その男がいくら酒を飲んでも顔色一つ変えず、強いのです。そして高風に自分は海中にすむ「猩々」だと答えて、潯陽の江で酒をたたえて待つように言います。
高風は素直に、酒をたたえて潯陽の江で待っていると「猩々」が現れて水上で波を蹴って舞踊ります。そして素直な高風をたたえて、いくら汲んでも酒が尽きない壺を与えて消えました。それは夢だったのですが、壺は確かにあり、高風の家は長く栄えました。
これ、日本昔話風になると、それをみていた欲深な婆さんが、水で薄めた酒を置いておいて猩々にこっぴどくひどい目に合うってことになりそうですね(笑)。
「乱」とは
「乱」という演出は、シテの舞が「中ノ舞」を舞うところを「猩々乱」という特殊な舞を舞うとタイトルも「乱」となるとのことです。
置壺 というのは、舞台中央に大きな酒壺が置かれる演出のことです。猩々はそこから柄杓で酒を飲んでいました。
また猩々というのは波に戯れる妖精のような存在だそうで、「乱」では波を蹴るようなキックするようなふりがたくさん見られました。通常の能は摺り足が原則ですから珍しいですね。これは「乱れ足」という足遣いだそうです。
ちょうど、他の演出の「猩々」を見る機会がありましたが、まったくキックする振りはなかったので、12月の演出ではそんな感じなのかな?
双之舞というのは、猩々が二人出てくる演出のこと。やはり一人より二人ですとずっと華やかで見ごたえがあります。でも12月は「七人猩々」…。7人も出てくるのは、ちょっと能舞台ではギューギューした感じになるかもしれませんね(;^_^A
12月の歌舞伎の「猩々」は、酒売りが種之助。猩々が松緑と勘九郎です。
猩々という「永遠の少年の妖精のごとき存在」を歌舞伎ではどんなふうに表現してくれるでしょうか。
酒売りは、能では高風という男でしたが、猩々と高風のセリフなどのやり取りは一切ありませんでした。そこが歌舞伎ではどうなるのか楽しみなところです。
12月の歌舞伎座第3部で上演されます。お楽しみに。