早稲田大学演劇博物館主催の「没後130年 河竹黙阿弥―江戸から東京へー」というイベントに早稲田大学大隈講堂まで行ってきました。
没後130年の展示の関連イベント第1弾として、「黙阿弥と寄席芸」というテーマでおこなわれたものです。
ゲストが神田伯山さん。講談はもちろん、今岡健太郎先生、児玉隆一先生との鼎談もあり、しかも無料ということで、ダメ元で申し込みました。
「残念ながら落選」というメールが来たのですが、なんと落選者のために大隈講堂の地下の小講堂でモニターで様子を見ることができるというので、大変ありがたくいってきました。
▲なかなか素敵な小講堂
大きなスクリーンで席前方で見られて大変よかったです。
10月にチケットを取っていった伯山の講談が、なんと伯山インフルエンザによる休演で聞きのがしたこともあり、この日の伯山、堪能いたしました。
開口一番は弟子の梅之丞の「和田平助 鉄砲切」。梅之丞クンはラジオ「問わず語りの神田伯山」でいつも伯山が面白おかしく語っているので親しみがわいてしまいます。とてもよかったです。
お待ちかね伯山の講談は、講談連続ものの「村井長庵」の3話目。「お登勢殺し(雨夜の裏田圃)」でした。どす黒く腹黒い村井長庵、だまされるんじゃないかと思っていながらやっぱりだまされた三次、薄幸のお登勢。それぞれの語り分けがもうすばらしくて、息をするのも忘れて聞き入りました。
鼎談では、黙阿弥の寄席芸との関わりの深さ。黙阿弥が寄席に与えた影響。
江戸から明治期を駆け抜けて「最後の狂言作家にして最初の劇作家」と言われた黙阿弥の人となりなどについて。
また、講談や歌舞伎のとっつきにくさをわかりやすく手を差し伸べることが大切だが、置いてきぼりになるのもまた楽しいという話。つまり、全然わからないことがある日突然わかる喜びを味わうのも大切。それは講談も歌舞伎も、英語だって同じことといった話がとても腑に落ちました。
黙阿弥は元を講談の話からとって歌舞伎の脚本を書いている作品が非常に多いという話も出ました。本当にそうなんですよね。講談を聞いていると、歌舞伎で演じられない部分を知ることができて内容がよくわかったりします。
松之丞時代の伯山さんの講談を聞いていたとき、それは『新吉原百人斬り』で歌舞伎の『籠釣瓶』の元になった話でした。佐野次郎左衛門のあばたの由来、親からの因果などがわかって「あわわわ!」という気持ちになったことを覚えています。あの話を『籠釣瓶』という演目に仕立て直す手腕もすごいですね。
『村井長庵』は、昭和54年に吉右衛門が主演をしたきり歌舞伎化はされていないそうです。ちょっと暗いですよね…(;^_^A
松緑やったらどうだろうねなんて話も出ていましたよ。松緑さんいかがでしょう。
真面目な話あり、ひやひやする話あり、クスリと笑える話あり、思わず爆笑の話ありで8時終演が少々延びましたが、最後は手締めで終わりました。
「講談界では伯山というスターが現れて俄然勢いづいていますが、歌舞伎界も奮起しなくちゃね」という児玉先生でした。
モニター越しでしか見られないと思っていたのですが、なんと児島先生と伯山さんが終演後に、わざわざ落選組の小講堂まで挨拶に来てくれて、ありがたかったです。
気持ちよく学生街の風に吹かれて帰路につきました。
企画展は1月21日まで早稲田大学演劇博物館2階で開催しています。今日は行かなかったけれど、もちろん行くつもり。
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