「初めての歌舞伎を楽しもう」munakatayoko’s blog

すばらしき日本の芸能、歌舞伎。初心者にわかりやすく説明します♪

翔の會~さわやかな鷹之資・愛子兄妹のチャレンジに心洗われる

10月6日はこちらに。浅草公会堂にて「翔の會」

中村富十郎さんの13回忌。お子さんである鷹之資くんと愛子さんが、自主公演「翔の會」で富十郎さんにゆかりのある演目をつとめました。

「矢の根」

2世市川團十郎が初演。7世が「歌舞伎十八番」に選定した「矢の根」。豪快な荒事らしい明るい演目で、鷹之資くんにはぴったりと感じられました。
稚気にあふれた五月人形さながらの曽我五郎でした。
「矢の根」は、2代目松緑富十郎に教えたそう。その富十郎は2代目松緑の孫である当代松緑に教え、今回当代松緑が鷹之資に指導しました。こうして先輩→弟子→孫→子と、入れ子のように伝えていく芸を今私たちが観る不思議。私たち見る側も、次世代に歌舞伎の深さ、面白さを伝えていきたいものです。

天王寺屋語り」

プライベート映像だそうですが、大きなスクリーンからはみ出さんばかりに大きな富十郎さんの顔。
17分の映像ですが、そこからはさまざまな表現で「歌舞伎への心得」とでもいえばいいのか、いつの日か鷹之資にわかってもらえたらという気持ちで語っているのでしょう。歌舞伎愛、大ちゃん愛たっぷりの映像でした。その中からピックアップ。

勧進帳について。
印刷物を読んでもわからないことは多い。だから9代目團十郎、6代目菊五郎から直接教えを請うた人たちにまた話を聞いて、9代目.6代目が言ったことを手繰り手繰って見極める。
「お前はここまで」といわれるかもしれないが、それはそれでいいんだ。
自分を知るということはとても難しいことだから。(これは、表現を変えて何度も言っていた)

舞台を作ること
楽譜の通り演奏はするけれど、間の撮り方は違う、間取り、テンポ。セリフの言い方は各自の言い方が違うから、先輩の言葉に加味して、80歳になっても初心にかえる気持ちで!

カルチャーショック
戦後に、欧米の映画を見たときは圧倒されたなあ。

鷹之資
ちゃんと学校に行って、勉強をして、子どもらしく、その年らしくのびのびと育って。


せかせか話す。楽しそうに話す。
前のめりに話す。
お肌ツヤツヤ、元気いっぱいに話す。
途中から大ちゃん(鷹之資くん)も登場。
ほっぺぷくぷくでとても可愛い10歳でした。

お肌つやつやでお元気そうだった富十郎さん、この収録の1年余り後には亡くなったそうです。
心残りが多かったでしょうねえ。でも鷹之資くん、とっても立派に成長されていますよ。

「二人椀久」

「二人椀久」は、「矢の根」とは全く正反対の趣きの舞踊です。

初演は享保19(1734)年。その40年後に市村座で新たに演じられた曲を初代尾上菊之丞と初代吾妻徳穂が踊って復活しました。

二人椀久は、椀屋久兵衛という豪商が、松山太夫という傾城に入れあげてしまったため、座敷牢に入れられて発狂してしまったという実話を元に作られています。

すでに呆然自失のようになっている久兵衛が現れ松山を思い踊りながら、木の根元で眠ってしまうと、夢かうつつか松山が現れて踊ります。
廓での楽しかった日々の思い出の中、二人はうっとりと踊りますが、長くは続きません。いつしか松山は消えてしまい、後に残された椀久は悲しみの中倒れていきます。


なぜ鷹之資兄妹がこの演目を選んだかといえば、父富十郎が先代の雀右衛門と300回近く勤めた当たり狂言であったから。
2代目吾妻徳穂の息子でもあった富十郎が、初めて二人椀久を踊ったのは菊之丞の代役としてだったそう。松山演じる母と踊り、お母さんにしかられっぱなしで
「お母さんを松山と思えるか!」と反発したというようなエピソードもあったようです。その後雀右衛門という相方を得て、当たり狂言としたのです。

美しく成長した愛子さんが、夢かうつつかわからぬはかなさで松山を表現して魅了。二人が手を取り合い、離れたり引きあったりして踊るさまはまるで古典のバレエを観ているよう。古い踊りですが、新しく作られてもいて、若い二人のチャレンジが心地よく見ごたえがありました。

会場は、歌舞伎俳優さんや太夫さんなどが多くいて、歌舞伎界全体の鷹之資兄妹への人気と期待と愛情も感じたことでした。

矢の根で馬士畑右衛門を演じて、こっけいな様子で会場を笑わせた猿弥が、幕間には物販の販売の手伝いをしており、まるでミニ俳優祭のよう。明るくて働き者の猿弥さん。ファンに囲まれてバンバン売りさばいていました。さすがです。

中村鷹之資くん。24歳。渡邊愛子さん。20歳。みずみずしくさわやかで向上心あふれる若き兄妹の会に行って、こちらもエネルギーをいただいたようでした。

帰りの浅草、仲見世通り。