牡丹灯籠というと、怪談。お岩ちゃんみたいに玉さまが醜い幽霊になるのは観たくないなあと心配する必要はなし。幽霊に出られる側のちょっと強欲で人間臭さバリバリの夫婦を玉三郎と愛之助が演じる。
あらすじ
浪人の新三郎に恋をしたお露は恋煩いで死に、乳母のお米も後を追う。幽霊となったお露とお米は新三郎の元に姿を現すようになる。
そのため、新三郎の家には幽霊が入れないようお札を貼る。
幽霊は、新三郎の身の回りの世話をしていた伴蔵に、お札をはがし、新三郎の金無垢の不動像を取り上げるよう頼みに来る。
しかし、もし新三郎が幽霊に取りつかれて死んでしまえば、伴蔵夫婦は仕事を失ってしまう。そのため伴蔵の妻お峰は伴蔵をけしかけ、幽霊に100両を要求させる。
なんと幽霊はそれを承諾。100両を得た伴蔵はお札をはがし、新三郎は幽霊にとり殺される。
第2幕は、その後。
100両をもとでにしてお店を始めた伴蔵とお峰は大成功。裕福になったものの、伴蔵は調子に乗り、笹屋という店の女お国といい仲になってしまう。
昔、伴蔵夫婦となじみだったお六が訪ねてきてお峰は喜ぶが、伴蔵はいい顔をしない。それが原因で二人は大げんかとなるが、突然お六に幽霊がとりつき、思い出したくない新三郎の一件を語り始める…
見どころ
ホラーなのに、コミカルな部分も
ホラーだけれど、幽霊と交渉して100両もらっちゃうなんて面白い。ワタワタオロオロしながら、言ってみたら、100両が天井から降ってきた。「木の葉じゃねえだろうな」なんてガタガタ震えながら、ひ~ふ~み~とお金を数える強欲なおふたり。
ファンタジックなのにリアル
幽霊が出てくるときの予兆がカランコロンという駒下駄の音と牡丹灯籠なのだけれど、その牡丹灯籠のふわふわ感と照明がとてもよかった。
牡丹灯籠はふわふわととりとめがなく、時には誘うように、時にはあざ笑うように上下に揺れたり、縦横無尽に動いたり。最後には伴蔵を誘って行っちゃった。
とまあ、ファンタジーなのだけれど
お峰と伴蔵の会話がものすごくリアリティがあって、お二人の芝居上手が光る。
玉三郎は、ボソボソ小言を言ったり、つぶやいたり、何気ない素振りが日常生活そのもの
「灯り付けてくれい」「あい」なんていう普通のやり取りの呼吸がとても自然。
2幕目になると、伴蔵の浮気が発覚する。馬子久蔵をうまくだまして浮気の証拠をつかむところなどは、まるで今の世の中の夫婦でもありそうな。
「くやしいいいいい!」と号泣するお峰、同じ思いをして共感する妻も多いに違いない。
ところで、久蔵を演じたのは坂東功一。シュッとした役が多かった印象だけれど、馬子久蔵の方言まじりの嘘つけない憎めない間抜け面の久蔵、とってもよかった♪
最後逃げかえるところ、本当に滑って転びそうだった。
ファンタジーのままだと絵空事になっちゃうけれど、リアルだからしっかりとした芝居として成立しているのだろうな。
小心者の伴蔵と生活者として強いお峰
伴蔵は、金を手にして、次第に傲慢になり浮気をしてしまう。ところがもともと小心者だから、過去から逃れられない。そこから逃れたくて、現実逃避し、酒を飲み、浮気をするという面もあるのだろうか。お峰はその点、もう一歩図太いし、生活者だから大地に足を踏ん張っている強さがある。
「そんなこと言ったってしょうがないじゃないの。やっちゃったことはやっちゃったんだから」みたいな開き直りの強さがあったけれども。でもあっけなく死んでしまった。ちょっとかわいそうだった。
変更されたラストシーン
最後は、お峰は死に、伴蔵は牡丹灯籠に引き寄せられるようにして花道をこけつまろびつしながら、走り去っていく。最後まで生きてはいたけれどもロクな死に方はしないだろうなとわかる。これは、平成27年7月に歌舞伎座で上演したものから今回のような最後に変更したそう。それまでは、最後は土手での殺しの場面となるのだけれど、歌舞伎だとそれが「かさね」とだぶってしまうために、玉三郎が変更したとのこと。
かわいそうなのは誰?
何にも悪いことはしていないのに、殺された人はかわいそうだった。
それは新三郎とお六だ。
何も悪いことはしていない。しいて言えばイケメンだった。ただそれだけで殺された新三郎。
何も悪いことはしていない。古いなじみのお峰を頼ってきただけ。それだけで殺されたお六。不憫だなあ。
怖いのは誰?
本当に怖いのは、幽霊より人間の心。ってところ。ところで、このお話は中国の明の時代の小説をもとにして、三遊亭円朝が落語として書いた。円朝といえば歌舞伎では文七元結なども書いている。新作落語を多く書いているのだけれど、実はなぜ新作落語を書くようになったかという理由が番附けにあった。
円朝の才能は、師匠の円生が嫉妬するほどだった。それで円朝が演じるだろうと推量した演目を先に高座にかけ、円朝の邪魔をしたと言われているそう。
なんと、人間の嫉妬心恐るべし。そしてそれを逆手にとって「それなら誰も真似ができないよう新作をつくってやらあ」という円朝の心意気と才能こそ、これまた恐るべし。
才能も知恵も野心も何もなく、世間のすみっこで必死に生きている私なんぞは、ただこんな完成度の高いお芝居を観られることの幸せを享受するのみです。