「初めての歌舞伎を楽しもう」munakatayoko’s blog

すばらしき日本の芸能、歌舞伎。初心者にわかりやすく説明します♪

京鹿子娘道成寺~菊之助・大阪松竹座にて

 

京鹿子娘道成寺は、安珍清姫の伝説が元になって宝暦3年(1753)年に江戸中村座で初演された。

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安珍清姫の伝説とは。

安珍というお坊さんにほれ込んだ清姫。しかし安珍は、清姫を裏切り、日高川を渡って道成寺へはいってしまう。清姫は大蛇に変身して日高川を泳ぎ切り、道成寺まで追いかけ、鐘に隠れた安珍を鐘ごと焼き尽くしてしまう。

文楽日高川入相花王では、こちらが描かれるのでぜひおすすめ。またシネマ歌舞伎の「日高川入相花王」では菊之助文楽人形遣いとして出ているので、これも要チェックだ。

■歌舞伎の京鹿子娘道成寺とは。

さて、歌舞伎の「京鹿子娘道成寺」は、その安珍清姫の後日談ということになる。

 

道成寺では鐘が焼き尽くされてしまったが、再興され、鐘供養が行われている。そこへ花子という美しい女性が来て鐘を拝ませてほしいといって来た。

 

本来女人禁制の寺だけれども、所化たちは花子がとても美しいので心を奪われて、舞を見せてくれるなら入山を許そうといって金の烏帽子を渡す。

 

金の烏帽子をつけて花子が舞う。烏帽子をとって娘の様子を、恋する娘や男心のつれなさなど次々と舞っていく。

 

所化たちも見とれたり、花笠を手に華やかに踊るうちに次第に花子の様子が怪しく変化していき、ついに鐘の中へ飛び込んでいくと、鐘の上に現れた花子はあーらうらめしや、恐ろしい蛇体となっていた。花子は、清姫の怨霊だった。

 

というもの。

 

1時間以上の内容だけれど、舞が次から次へとうつりかわっていき、それに伴い衣裳も替わる。観ていて恍惚となってしまうほどの舞台は必見だ。今回は大阪松竹座尾上菊之助道成寺を観ることができた。

■私と京鹿子娘道成寺

私は菊之助の祖父に当たる七代目梅幸京鹿子娘道成寺を観ていて、とても感動したことを覚えている。

それは昭和55(1980)年3月の国立劇場のものだ。「とてもきれいだった」と日記に書いていたから覚えているのだけれど(それしか書いていない涙)、それまでは踊りといっては退屈だとか時間つぶしだと思っていたけれど、この時初めて踊りも素晴らしいなあと思って日記に書き留めているのだ。

梅幸の息子の菊五郎京鹿子娘道成寺は、残念ながら観たかどうか覚えていない。番附けを確認してみると、歌舞伎座または国立劇場菊五郎が花子を舞ったのは、昭和56(1981年)年5月、60年3月、平成4年1月、平成10年1月とあるから自分の人生を鑑みて、おそらく観ていない。観ている可能性があるとすれば昭和60年3月か。

 

菊之助で初めて見たのは多分平成20(2009)年5月の玉三郎とふたりでの「二人道成寺」だった。叔母と見た。玉三郎についていくのがせいいっぱいのように見えたけれど、すでに32歳か。かわいくてきれいな桜子だった。

 

その後、菊之助以外でもいろいろ観ているし、二人道成寺やら五人道成寺やら、男女道成寺やらいろいろと道成寺のバージョンはある。それも道成寺が人気の高い証だ。昨年の12月に菊之助勘九郎が二人道成寺を踊ったのも記憶に新しい。

色々観たけれど今回の菊之助は、おそらく時分の花といっていい心身ともに充実した道成寺。今回大阪で2回観て、どちらもすばらしかった。この菊之助の花子を観られて本当に幸せだ。まだまだ何十年も菊之助道成寺は観られると思うので、一人でも多くの人に観てほしい。「今回が最高の道成寺だ」と思うものを、毎回塗り替えてほしい。

 

今回の道成寺は、現実世界に戻るには、30分の幕間では足りないというほどであった。

京鹿子娘道成寺を踊るときの気持ち。菊之助

菊之助自身、非常に道成寺は大切にしていて、詳しい解説を入れた配信もある。

(JAPAN CULTURE EXPO日本博)

以下のように語っていた。

満開の桜をゆったりと見ながら登場するときはウキウキと。

常に鐘を意識して、外見は「陽」でも中身は「陰」なのだからそれがちらちらと見えるように。

金冠烏帽子をかぶって踊る下りでは、赤い着物。歌詞に「悟りなさい」と言われているように感じる。花子は怨みで鐘に会いに来ているだけではなくて、本当は怨みも消えて、成仏したいと思っているのではないか。でも目の前に吊ってあるのは怨みの鐘。それを見るとやっぱり悟れないと思ってしまう。

どんどんと踊りは進んでいくけれど、常に鐘と心はつながっていて。

 

最後は怨みを晴らしてあげたかった。晴れなかったけれど。

■そしてめくるめく衣裳と舞。怨みと陶酔

花道での道行はウキウキしていながら怨みもちらちら。

 

花道で、懐紙でちょっと紅をとってクルクル丸めて客席にポンと投げる。手に入った客の晴れがましい顔といったら! この懐紙をもらったファンの方に話を聞いたことがあるが

「拍手があって、全歌舞伎座が祝福してくれたように感じた!そういうわけじゃないんだけれど(笑)」ということだった。ちなみにその懐紙は家宝となっているそうだ。

 

金冠烏帽子での踊りからピッと赤い糸を後見が引き抜くと、浅葱の着物になる。ほおっと鮮やかだ。

まりをコロコロと転がしながら吉原の情景へ観客を誘う。

引っ込んだ後、振り出し笠を持って出てくると、着物もピンクに替わって愛らしい。

引っ込むと、所化たちが出てきて踊り出す。このあたりまで来ると、もはや現実か夢かもわからない。所化たちは色とりどりの花のついた傘をもち、上は赤い着物、下は尻をはしょって、傘をクルクルと回して立ったり座ったり、もはや正気ではないのだ。

え?誰が正気ではないの?所化が?観ている我々が?みな花子の魔法にかかっているのだ。

 

その後、所化が引っ込み、花子は藤色の着物で登場する。恋の手習いのところでしっとりと。神経を行き届かせながら手ぬぐいを美しく舞わせて。大人の色気に酔いそうだ。

この手ぬぐいを美しくふるのも、下手な人の踊りを見るとその難しさがよくわかる。玉三郎は、きれいに手ぬぐいが流れるように、手ぬぐいの糸の重さまでこだわったという。

気が知れぬ。気が知れぬ。としだいに邪気をはらんでいく花子。

うらみーーー。うらみーーーてーーー・

 

ぽーんと袖から手ぬぐいを客席に投げて、さっとはける。

所化たちもポンポンと手ぬぐいを投げて、観客たちは大喜び。あっけにとられているうちに、再び出てきた花子は、一気に黄色の衣裳となって華やかに。

山尽くしのところでは、さまざまな山が歌い込まれていて、美しい山の情景を観ているような華やかさ。

横向きになってすーっと引き抜かれると衣裳は白へ。横向きの引き抜きってあまりないような。まるで魂が抜けたように、すーっと衣裳が変わるのが美しい。

鞨鼓をたんたんと鳴らし、鮮やかな着物を見れば、袖の模様も太鼓で華やか。

 

〽散り来る、散り来る嵐山

 

使いながら鈴太鼓へ。そしてあやしめいて、動きが激しくなってクライマックスへ。

 

松竹座での道成寺は、観ていて後頭部がジーンとしてくるような感覚であった。おそらく浦島太郎が竜宮城で観た乙姫の踊りというのは、こんな感じだったのではないか。さしずめ所化たちの踊りはタイやヒラメ。ぼーっとみているうちに、ハッと気づいたら100年たっていて頭が真っ白、住んでいた場所にはもう誰もいないなんてことがありそうな。そんなことが思われるような体験だった。

 

作品自体が見事。そして菊之助の美を堪能した「京鹿子娘道成寺」だった。

そして私は明日も京鹿子娘道成寺をみるのだ。右近の「研の會」にて!