昨日は能を観に行ってきました。
先週行っていた山形旅行のことをぽつぽつ書いているので、時系列が錯綜していますが、ご容赦ください。
国立能楽堂はいつ行っても気持ちがいいですね。写真がないけれど。
本日の演目は
能・観世流「半蔀」です。
林望先生の解説が最初につきました。
狂言「惣八」
楽しかった~。
料理人として殺生を重ねるのが嫌になって僧侶になった男と、読経の難しさや檀家との付き合いが嫌になって料理人になった男が、僧侶と料理人を募集している家に応募してきます。
そして、それぞれ仕事を命じられるのですが、新米の僧侶はお経が下手だし、新米の料理人は料理が下手。結局元の仕事が得意だったって言うお話(*^。^*)
おおらかで愉快で、ほのぼの。何百年も前からこんな話があったなんて思っただけで、日頃のつまらないことのうっぷんも晴れるというものです。
能「半蔀」
こちらは、源氏物語の「夕顔」の巻を題材にした作品です。来年の大河ドラマが源氏ということで、ちらちらと源氏物語関係が増えてきているかも。
昨年10月に歌舞伎座で「夕顔」が上演されましたが、それは能の「夕顔」に近く、今回の「半蔀」は題材は同じでもずいぶん趣きが違いました。
歌舞伎の「夕顔」では、源氏と夕顔が優雅に逢瀬を重ねていると、六条御息所がおどろおどろしく登場して、夕顔をとり殺しました。
「半蔀」ではそういうおどろおどろしさはありません。ある僧がある女性と出会い、もっている花の名前を聞くと「夕顔の花」とこたえます。そして五條辺りに住むと言って姿を消します。その後、紫野の者に五條辺りの夕顔の話を聞くと、それは夕顔の霊だろう、行って弔ってやってくれと言われます。
そこで、五條辺りに行くと、あばら家があり中から夕顔の女が現れ、源氏との出会いを思い起こしながら舞います。。
夕顔という花なのか、霊なのか、僧なのか、源氏なのか、夢なのか、うつつなのかという、美しい幻を観ているような作品でした。
詞章は難しい部分もありましたが、面をつけた夕顔の女が美しくて、まるで人形のよう。能ではいつも舞台の作り物がほとんどなくあってもとても簡素ですが、今回は半蔀屋。
ひょうたんがたくさんぶら下がっていました。ひょうたんって夕顔の実なんでしたね。
夢のような美しい時間でした。