→六波羅蜜寺から続きます
建仁寺の勅使門
六波羅蜜寺は以前に行ったことがありますが、以前はガイドブック頼りでしたので、
と点と点を結ぶような行き方でした。
ところが今回は六波羅蜜寺周辺を案内してもらい、まさに平安時代が立ち上ってくるような気持ちを味わうことができました。
まずはここら辺一帯を支配していた平氏の絶大なる権力を感じられる門!
これ。平重盛の館から移築したと言われています。ちょっと大きさがわからないかなー。どっしりしていてとても立派な門です。
昔、この辺りはこの世とあの世の境目だったそうです。
昔は人が死ぬとこの辺りに死体を放置。死肉を鳥がついばむ、いわゆる鳥葬だったそうです。
ですからこの辺りにはほねがゴロゴロしていたんですね。
それが、鴨川が水害で氾濫すると、水が溢れてきてざーっと上にあった骨も、流されてきたそうです。髑髏(どくろ)がザーッゴロゴロゴロゴロっとこの辺りを転がっていました。
それでこのあたりは、髑髏(どくろ)町と言われていましたが、それが由来となって、轆轤(ろくろ)町という町名になったそうです。
現代のただ普通の道が、いきなり砂を巻上げるようなびょうびょうとした風、ガアーガアーと鳴くからすどもの声が聞こえてくる平安時代の道へワープしたようです。
調べていたら、陶芸のろくろ職人が多かったころからそういわれているという説もあるようです。
六道珍皇寺
創建は平安時代。鳥葬の場であったので鳥辺野と呼ばれていたこのあたり。
六道とは生前の業因(善悪一切の行い)によって赴くとされる地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六種類の迷界を言います。珍皇寺は、この世からこの六種のどこかの世界へ行く入口になっていました。あの世とこの世の境目だったのです。
お盆には、この世に帰る精霊は必ずここを通ったそうです。
ご先祖様の精霊を迎えるため8月7日~10日の4日間は「六道まいり」の行事が行われ、大勢の参詣者が梵鐘(迎え鐘)をつきます。梵鐘の音は冥途にまで響くと言われ、亡者をこの世に呼び寄せるとのこと。
そして、この六道珍皇寺には、焔魔堂に木像の閻魔大王、小野篁の像が祀られています。
小野篁は、地獄の冥官と呼ばれていました。なんと昼間は役人として勤め、夜は珍皇寺の庭の井戸を使って毎夜毎夜冥界へ渡り、閻魔大王のお手伝いをしていたという伝説があるそうです。
めちゃくちゃワクワクします。
その庭の井戸は今でもあり、この世からあの世へ行く井戸があったのですが最近、旧境内地から、冥途からの帰り道に使ったのではと伝わる「黄泉がえりの井」も発見されたとのこと。
どういうこと!?
井戸は隙間から見ることができました!
さて、こちらが迎え鐘。ちょっとコツが必要でうまくやらないとなりません。
どうやるのだったかな。忘れてしもた!
プルプルと心が震えるほどワクワクした六道珍皇寺でした。
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