おとくについて書いたので、又平についてもちょこっと。
今回は、歌昇の又平。これまたよかった。吉右衛門からみっちりとしごかれた歌昇さん。それが目に見えぬ財産となって体に染みついていることは素晴らしいこと。
又平は、うまくしゃべることができないため、コンプレックスがあって、絵を描くこと以外はおとくにまかせっきりのようなところがある。なんでもお任せ。
挨拶もお任せ。何かをお願いするのも自分からは言わずにおとくにお任せ。見張りをしていろと言われれば黙ってずっと見張っているような受け身の又平。ただ絵がうまくてもそんなことでは一級の絵師としては務まらない。そこを師匠も歯がゆく思っていたのだろう。
弟弟子に先を越され、苗字も許されず、姫の救出に向かって武功の道を立てることも許されず絶望する。が、初めて自分から意思をもって雅楽之助に「自分を行かせてくれ」と懇願する。将監は、そこも見ていてくれたのだろうな。
又平の絶望のとき、歌昇の瞳から光が消える。その後、奇跡を起こして苗字を許され、歓喜に酔いしれるときにはまた瞳に輝きが戻る。
「鎌倉殿の13人」の撮影のときに、小栗旬がダークサイドに堕ちるときは照明を落として瞳から光をなくすような演出をしたと聞いたけれど、まさか舞台でそこまでできないと思うので、どういうふうにしたらあの演技ができるのかなと不思議に思った。それくらい絶望の又平の落ちくぼんだような真っ暗な底なし沼みたいな瞳と、歓喜に震える瞳は対照的で素晴らしいと思った。絶望が深ければ深いほど、喜びがいっそう際立つからね。よかったね、又平(^^)/