「初めての歌舞伎を楽しもう」munakatayoko’s blog

すばらしき日本の芸能、歌舞伎。初心者にわかりやすく説明します♪

なんてこった!心中宵庚申

悪い人は1人も出ないのに悲劇の結末。

なぜ、悲劇になるかといえば、当時の価値観が「人の命」より親や家に対する「忠義」が上回っているからだ。

「まあ人の命が一番大事よね」の今に生まれて良かった。現代でも「命が一番」ではない世界にいる人は一刻も早く逃げ出すことだ。

悪い人は出ないと言ったけど、姑は意地悪。嫁が気に食わないと言って勝手に離婚させちゃうし、意地悪言うし。ただ盗みをしたり殺人を犯す悪人と言うほどでもない。


四代目竹本越路太夫が昭和40年に「決して悪人ではなく、ごく単純なお婆さん」と解釈して語りその後、嫁姑問題として解釈されて現代の文楽のレパートリーになったと解説されている。

ええ。こんな意地悪な婆さんがごく単純なお婆さん?
と思うけど、この婆さんも当時の価値観の中に生きているのだから仕方がない。

ところでこの婆さんには名前がない。からかいに来る百姓金蔵にさえ名前があるというのに。女性の地位は低いのお。

価値観とはなんだろう?私たちも気づかぬうちに「正しい」と思っている周りの価値観の中でとんでもなく人を傷つけていることがあるのかもしれない。くわばらくわばら。

心中天網島の治平のように浮気したわけでもないし、曽根崎心中の徳兵衛のようにうっかり公金に手を出したwかえでもない。誠実でなおかつ愛し合っているお千代、半兵衛。ああそれなのに。

なのに、二人の未来はどんどん狭まって、死に向かうしかなくなってしまう。今二人と書いたけれどそれは間違いで、三人なのだ。おなかの中の子どもの人権など、むろんゼロ。

お千代の父の島田平右衛門。とても優しく、慈悲深く、教養がある。
何しろ、病の床に臥せっているときに本棚から平家物語の「祇王」の段を読んでくれと頼むような、そしてその中に出てくる人物になぞらえて、娘を諭すような人物なのだ。

「二度と戻るなよ」とは、「しあわせになれよ」のはずなのに水盃や門火など、どこか二人の死を予感していたのか、そして千代もそれを感じていた。

姑の婆さんは、どうしてそれほど千代を憎んだのだろう。
「いい嫁なんだけれどぼーっとしていて、商家の嫁としては不適切」というわけでもない。
久々に嫁入り先に帰った千代は、てきぱきと動き出す。
「蚊がでているのに、まだ蚊帳もつっていないの?居眠りしていたら袷の洗濯もできないじゃないの。あら、この戸棚のほこりは?奥のこたつはまだふさがっていないし、香のものがどうなっているか気になるし、何からしようかうろうろしちゃう」
という感じだから、働き者のよい嫁だ。

では、かわいい息子を取られて嫉妬? というわけではない。実の息子ではなくて養子だもの。

なーにが気に入らなかったのか定かではないけれど、2年一緒に暮らしてみて、小さなことの積み重ねでささくれだつような関係となってしまったのだろう。「いちいち気に食わねえ。癇に障る」って感じ?

舅どのは何をやっていたのかといえば、婆さんをたしなめて、寄合に行ってしまう。見て見ぬふりか。

大体そういう「いい人」っぷりが婆さんを必要以上にイラつかせるのではないかと思ったりもする。
悪婆というかしらがこの婆さんなんだけれど、年で言えば多分同世代だろう(笑)、顔も動作も本当にくそ婆であるが。どうしてそんなになっちまったんだい?と聞きたいような気もする。

半兵衛は、千代とともに家に戻ったものの、半兵衛自ら千代に離婚を言い渡す。
婆さんに強く言われて、長いモノには巻かれろ的なことではない。
「女房の親と我が親と、世間の義理と恩愛と、三筋四筋の涙の糸、手繰り出だすが如くなり」とがんじがらめ。
もし、自分の留守中に姑が嫁を離縁したのでは、養母が世間から非難されてしまうから、自ら離婚を言い渡すというのだ。

自ら離婚を言い渡せば、養母への義理もたつ。
心中すれば、嫁の父への「一生添い遂げます」という約束も果たされる。
いっしょに死ねばもちろん千代ともずっと一緒にいられる。
と考えて、ついに心中という選択肢。

何が大切なのだ、半兵衛よ…。涙 周りに忠義だてすぎんか?

まじめで相思相愛の夫婦が、おなかの子どもとともに心中しなければならなかった、そんな馬鹿な哀しいお話です。

この世の縁切る、息引き切る、哀れなりける という最後が哀しい。

もとは実話
さてこのお話。実話がもとになっている。1722年4月6日、東大寺の大仏勧進所で八百屋半兵衛と女房お千代が心中した。あっという間に歌舞伎や歌祭文で扱われ、人形浄瑠璃では4月22日から竹本座で上演。(その前に豊竹座で「心中二ツ腹帯」でも上演。早っ!)

そのヒートアップぶりに心中を脚色するなというお触れが出てしまったので、近松門左衛門最後の世話浄瑠璃となった。

あ。タイトルの「宵庚申」というのは、当時暮れ六つ(午後6時ごろ)に店を閉めると奉公人は外を出歩かなかったそうだが、60日に1回回ってくる庚申の日には徹夜をして神々を祀った。半兵衛、お千代は外に出やすい庚申の日に心中をしたのだった。

〽手に手を取ってこの世を去る、輪廻を去る、迷ひを去る

あの世で幸せになっているとよいのだが。お千代半兵衛、そしておなかの子。
楽しいお話ではないのだが、いろいろと考えさせられた。

とここまで書いたところで、実説についてすごい説が出てきたので、続きます。
モヤモヤが一気に解消しました。

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