森鷗外の短編を宇野信夫が昭和26年に劇化したものです。新作だから言葉もわかるし、理解するための予習はいらないですけれど、森鷗外の原作はネットで読めますのでぜひご一読ください!短いのですぐに読めます。とてもいい短編です。
伊織の癖、桜の存在、甥夫婦などはすべて宇野信夫による加筆だとのこと、なるほどこういう風に作り直すのかと、その手腕にもリスペクトしかないですねえ。
簡単なあらすじ
内容は、仲のよかった若夫婦が、ひょんなことから会えなくなり、やっと会えたのはその37年後だったというお話です。しみじみ…。
とてもいいお話なのですが、これって役者の力で面白さがとても左右されると思うのですが、今回満を持しての登場は、仁左衛門と玉三郎。ですがこの稿では、あらすじと見どころのみにいたします。仁左衛門・玉三郎のぢいさんばあさん観劇感想はこちら。
登場人物
美濃部伊織 妻をめとり、子も生まれ、幸せに暮らしていたが、久右衛門の替わりに京都に1年間異動となる。
伊織妻 るん 伊織と幼子と幸せに暮らしていたが。
宮重久右衛門 るんの弟。少々短気。友人と喧嘩になり、京都への異動がパ~になる。
下嶋甚右衛門 伊織の同僚。ちょっとしつこい性格。絡み癖あり。
宮重久弥 久右衛門の息子。不在となった伊織の家の留守を守る。
久弥妻きく 久弥とともに、伊織の家を守っていた。
もう少し詳しいあらすじ
美濃部伊織、京都へ1年間の異動となる
美濃部伊織は、やさしく賢い妻と1歳になったばかりの子どもと、毎日とてもしあわせに暮らしていました。しかし、ひょんなことから京都へ1年間異動となります。ひょんなことというのは、るんの弟のしでかした不祥事で、るんの弟の異動が中止となり、そのかわりに伊織が京都に行くことになったのでした。なに、たった1年のこと。来年満開の桜をいっしょにみようとふたりは桜の木の下で約束するのでした。
伊織、京都で事件を起こす
伊織には、下嶋という同僚がいました。これがどうも絡み癖があるというか、しつこい男。京都鴨川の料亭で伊織が新しく購入した刀を披露するために同僚たちと飲んでいたところ、そこに不機嫌な顔とともにやってきました。
実は刀を購入するにあたり、伊織は下嶋に30両借金をしていました。金まで用立てていたのに、なぜこの場に俺を招待しないかというのです。
伊織は丁重に謝ったものの、なおもしつこくいいがかりをつけ、ついに伊織の刀をとる下嶋に対し、伊織は斬りつけ、誤って殺してしまいます。
伊織、江戸にもどる
その後、伊織が江戸にもどったのは、37年後のことでした。事件のあと伊織は越前有馬の家にお預けとなり、るんは、子どもを病で亡くし、黒田家の奥女中に奉公に出ていました。
2人の家は、事の発端となったるんの弟久右衛門が責任を感じて預かり、その後息子の久弥とその妻きくが大切に守っていました。そこに、二人は戻ることとなったのです。
37年ぶりに二人は出会いました…。庭ではあの桜が咲き誇っています。
みどころ
全体を通じて、清涼剤のような清らかなものが流れているような感じです。今の時代に何か欠けている清らかなものが、スーッと流れているような気がしませんか。もはや今の世の中ではなかなかありえないようなファンタジーですね。
前半の若々しい夫婦のウキウキ
子どもが生まれて1年たって、幸せいっぱいの二人。しかしその幸せがとてもあやういものだと知るのは、ストーリーを知る観客のみ。ふたりは知ることもありません。そこが泣けます。若々しく幸せそうにイチャイチャすればするほど、こちらの心はキリキリとします。
今こうして歌舞伎を観ている私たちだってそうですよね。歌舞伎を観ての帰り道、とんでもないトラブルに出会って、家族とは永の別れになるかもしれません!
伊織はそれでも自業自得な部分がありますが、るんに至っては、何にも悪いことはしていないのに来年会えるとばかり思っていた夫との再会は37年後になってしまいます。しいて言うなら、自身の弟のしでかしたことにより、夫が京都に行くはめに陥ったので、そこを後悔はしているかもしれませんが…。いずれにせよ、若い二人はそれから37年もの間別々の道を歩むこととなるのです。
美しい鴨川のほとりの情景
鴨川のほとりの料亭で、購入した刀のお披露目会を伊織が催します。月が美しく、とてもきれいな情景です。伊織はるんから送られてきた桜の花びらを舞わせ、皆は「京の月に江戸の花」と喜ぶのですが、その直後事件は起こります。
37年ぶりに再会できた2人
るんは、突然の別れ、子どもとの死別などツライことを乗り越えて、黒田家の奥女中として立派に勤め上げました。その凛としたたたずまいがとてもすてきです。凛としていますが伊織を思う気持ちに、少しも変わりはありません。
一方、伊織は、なんだかかわいいじいさまになっていて。わしのうちだ~。わしはついに帰ってきたのだ~とパタパタと家じゅうを走り回る姿はかわいいです。
7つの時刻に待ち合わせと甥が段取りを決めていたのに、待ちきれず早めに来てしまう伊織。ところがるいも同じように早めに来てしまいました。まだ相手は来ていないはずと思っていることもあって、二人は出会ってもとっさには相手がわかりません。
伊織の癖とは。
37年ぶりに出会って、相手の顔がよくわかりません。しかし、伊織のついつい鼻を触ってしまう癖は昔のまま。そこでるんは、目の前のぢいさんが伊織であるとわかるのです。
若い二人
留守を守って、家を二人が住んでいたころのように整えていてくれた二人の若い新婚さんもまた、清らかです。伊織が京都に行くきっかけになったのは、先も書いたようにるんの弟の久右衛門の喧嘩でした。そこで久右衛門は非常に責任を感じ、二人の家を整え、自分が亡き後も息子の久弥にも経緯をしっかりと伝えていたのでした。
見守る桜
若き二人の家の庭に咲いていた桜。まだ若木で桜は、チラホラと咲いている程度でした。その桜を二人は愛で、伊織は桜に「お前ともとうぶんお別れだなあ。待っていてくれよ」と話しかけ、るんとは来年一緒に花見をしようと約束していたのですが願いはかなわず。37年たって、咲き誇る桜が見事です。
明るい伊織に救われる芝居
私はすでに還暦を過ぎていますから、37年ぶりという年月の大きさがわかります。二人とも会えてうれしかろう。しかし失われた37年を考えるとちょっと呆然とします。
私であれば新婚当時に、夫の短慮が原因となり分かれ分かれになり、今会えたくらいでしょ?無理ですわあ(笑)。男性が勝手に描くファンタジーですね。
もし自分が伊織だったら、申し訳なくて、涙にくれるばかりではないか。しかし、伊織は「苦労をかけた」と謝るものの割と明るくて、ポジティブです。それが伊織の良さであり、その明るさ故、37年間生きることができたのではないでしょうか。
また伊織だけが一方的に悪くならないよう、るんにも謝らなければならない運命を与えていてうまいなと思います。悲しいけど。
それは、後継ぎであるべき子どもを亡くしてしまったこと。もちろん、伊織は責めることはしません。
その後、るんは今度は褒めてほしいと言って、長年の奉公で銀10枚をいただいたことを報告します。えらいなあ、えらい。と伊織は言いますが、「お前に比べると、わしなどは、お前に見せるものは何一つない」とちょっとしゅんとしますが、京都に行くときにるんが帯の布で作った守り袋を出し、これをずっと持っていたぞと自慢するのです。
そんなに明るくていいの?と思いますが、前向きだからこそ、生きてまたるんに会えたのでしょう。つまらない話になってもおかしくないところ、そうならないのは伊織の明るさ故でしょうね。
一人ひとりが、失われた37年に思いを馳せる
失われた37年というのは、それだけの年を経た人でないとその重大さはわからないような気がします。以前、国立の歌舞伎教室(中高校生向け)でこの演目がかかったことがありましたが、いくらわかりやすいとはいえ、中学生、高校生にこの演目の深さがわかるとは思えないですねえ。浦島太郎の話と同様くらいにしか思えなかったのでは?
同じように、若い俳優さんがこの演目を演じるのも難しいような気がします。老けメイクをすればよいというものではありませんから。
若い人というよりも、倦怠期や少々冷え冷えとした老夫婦の皆さん、ぜひ観てみてはいかが?(笑) 考えさせられちゃうと思いますよ~。