「初めての歌舞伎を楽しもう」munakatayoko’s blog

すばらしき日本の芸能、歌舞伎。初心者にわかりやすく説明します♪

色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)~かさね

色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)~かさね

 

読み方は、「しきさいまかりまめ」じゃないですよ。「いろもようちょっとかりまめ」粋ですねえ!

9月大歌舞伎2部です。上演時間50分。50分の中に濃い物語が凝縮される舞踊劇です。

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■初演 文永6(1823)年

■原作 鶴屋南北

■作詞 二世松井幸三 作曲 初世清元斎兵衛

 

■登場人物

 

百姓 与右衛門 元侍。腰元のかさねと不義の仲となり、屋敷を抜け出した。

腰元かさね 死もいとわぬ覚悟で愛する与右衛門を追いかけてきた。

 

捕手 助太夫殺しの下手人(与右衛門)を探している。

 

■お話

 

今回は、捕手が、助太夫殺しの下手人を探しているところから始まり始まり。

 

捕手がいなくなった後、花道から菰をまとって登場するのが与右衛門。パッと菰を開けば、ああ、悪の香りもそこはかとなく感じさせるいい男。幸四郎が自慢の太もも(つうか、ふくらはぎ?)をカッと見せながら見得をすれば、観客席からは「高麗屋!」「待ってました!!」を心にしまって、拍手に気持ちをこめる。

 

あとから出てくるのは、かさね。演じるのは猿之助。腰元らしい品の良さとかわいらしさと、好きな男についていく必死さと恥じらいとがいっしょくたになって、観ているこちらの心もパンパンにはちきれそうだ。

 

50分の時間内の、前半は、このかわいらしいかさねと、与右衛門の「好きなんだから連れて行って」「いやいやそれは、お前も親不孝になってしまう」「だって、去年の秋に出会ってから、ずっと好きなんですもの」という男女模様が、セリフは少なく清元の調べにのって展開される。でも与右衛門は、本当はかさねなんてなんとも思っていないんだなあ。

 

かさねのかわいらしさ、与右衛門のかっこよさに、ただただうっとりしたい。

 

かさね、かわいいなあ。え!?これが半沢直樹に出ていたあの悪役伊佐山なの!?と初めて歌舞伎の猿之助を観る人はぜひぜひぜひ、びっくりしてほしい。

 

ふとかさねが、与右衛門の手をとって、自分のおなかに導く。「実はできちゃったの」

不義密通は当時御法度。だからかさねは、心中をもいとわない覚悟。与右衛門は死ぬ気はさらさらないから、なんだかんだとのらりくらり。そして同意したかの振り見せて、一突きやってしまおうと機をうかがう。そこへ、ヒュードロドロの音とともに、川を流れてきたのが、どくろと卒塔婆だ。生暖かい風が吹いてきたような気さえする。

 

与右衛門が拾って卒塔婆の名前を観れば、なんと自分が殺した助太夫卒塔婆だった。ええい、縁起でもない!とバキバキに折ると、かさねが突然倒れてしまう。

 

実は、与右衛門が殺した助太夫は、かさねの父親だった。しかも与右衛門は助太夫の妻、つまりかさねの母とも密通をしていた。なんというクズ野郎だろう。

 

それを知らずに愛してしまったかさねは、父の仇と愛し合った報いで、顔が崩れ、左足を引きずるようになってしまう。(顔が崩れ、足を引きずるというのも因果があるのだが)

 

醜いかさねに、ますます与右衛門の心は離れるばかり。一緒に行こうとだまして、後ろから鎌で切り付ける。

 

そして、スタコラ逃げようとする、、、、

逃げようとするが、、、、、、逃げようとするが…。逃げようとするが………。

体が、体が、体が!

 

というお話。

 

■みどころ

前半と後半のギャップ

前半は美しい二人の道行。

後半は、ひたすら恐ろしい。そのギャップ。これにつきます。

 

連理引き 手の動きに注目

怨霊などが、花道を逃げていこうとする人を、怨霊パワーで引き戻す演技のことを「連理引き」という。

与右衛門が逃げようとするのに、怨霊に引っ張られて逃げられないというところで、ついつい与右衛門に注目しがちだが、舞台上手でぐったり死んでいるかさねにもぜひご注目を。

かさねの手の動きで、与右衛門が翻弄されていることがわかるはず。

 

哀れなかさね

 

お化け?そうかもしれないけれど、お岩さん同様、なんとかわいそうな女性だろう。(作者は東海道四谷怪談と同様鶴屋南北

自分の父親を殺し、母親と密通していたクズ男を愛してしまうとなったら、相当のイケメンでないと、観客としても納得できない。そこは幸四郎が、文句言わせないっす。お化けにならないと、やっつけることができないのが、昔の女性の悲しさ、くやしさだ。

観終わって、その余韻に浸りつつ歌舞伎座の外に出たら、思いもかけぬ土砂降りの雨。哀れなかさねの、慟哭の涙のようにも思った。

 

【追記】

★日本舞踊ハンドブックを読んでいたら、かさねについて

「醜くなったあと、右半身は正常で与右衛門を恋している気持ち、左半身は怨念が込められているという、一つの肉体で二つの相反した状況を抽出することが要求されている」とあった。助のたたりで左足を引きずっているだけではないのだな。

 

かさね伝説

 

元にあるお話は、かさね伝説。

 長い長い因果の話なんですね。それはこちらに。南無阿弥陀仏

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