「初めての歌舞伎を楽しもう」munakatayoko’s blog

すばらしき日本の芸能、歌舞伎。初心者にわかりやすく説明します♪

かさね伝説。

かさね伝説。

 

これは、60年にもわたるめぐる因果の物語だという。

 

茨城県常総市羽生町がその元となったお話の舞台で、そこの法蔵寺にその伝承は残されている。

 

かさねは、与右衛門とすぎの娘であった。すぎは、助という子供を連れて嫁に来たが、助は片目で足が不自由だったため、与右衛門に疎んじられ、すぎの手で殺された。翌年、かさねが生まれる。

 

ところが、容貌が助にそっくり、つまり片目で足が不自由だったため、村人たちは祟りだと噂をし、重なる不幸という意味で名前の累を「ルイ」ではなく「かさね」と呼んだという。

かさねは、醜い娘だったが、ある時病気の旅人を親身に介抱してやり、それがきっかけでその旅人と結婚をする。それが2代目与右衛門だ。ところが2代目与右衛門は次第にかさねを疎んじるようになり、浮気。そしてかさねが邪魔になって、豆刈の帰りに川にかさねを突き落として殺してしまう。

 

その後、何人もの女と結婚するが、幸せな結婚はできず、子宝にも恵まれなかった。最後に結婚したのが「おきよ」という女でやっと生まれたのが菊である。

 

1672年(寛文12年)のある日のこと、菊に、霊が憑依。菊にとりついた霊は、自分はかさね(累)だと名乗り、正保4年(1647年)に2代目与右衛門に突き落とされて殺されたことを暴露し、自分の供養を願ったという。

 

祐天上人は、かさねの霊を成仏させた。

 

ところが、その後また菊に霊が憑依。今度は「助」という子どもの霊だった。

 

助は、慶弔17年(1612年)に杉の手で川に投げ込まれ、殺されていた。奇しくもかさねが2代目与右衛門に投げ込まれたのは、助が殺されたのと同じ場所であったという。

 

祐天上人は、助の霊も成仏させた。

 

法蔵寺には、菊、累、助の墓が残され、また祐天上人が霊退散のときに使った数珠も保管されているそうな。

 

この祐天が隠居をしたのが、今の東急東横線の祐天寺だそうだ。

この話を聞いた鶴屋南北が、この話を元に色彩間苅豆を書いたということだ。

 なんともすごいお話である。

 

色彩間苅豆についてはこちら

munakatayoko.hatenablog.com

 

参考:日本伝承大鑑  https://japanmystery.com/ibaraki/kasane.html

清元國恵太夫Offcial blog  http://kuniedayu.com/blog/2020/08/post-303.html

こちらには、解説とともに、歌詞も載っていますので、ぜひ読んでみてください。

清元國恵太夫さんは、今回舞台で浄瑠璃を語っていらっしゃいます。