- あらすじ
- 今回の爪王。原作を読みながら
- ★余裕で鷹をいたぶる狐が憎い
- ★最後の鷹匠のプライドが勝利を呼ぶ
- ★雪舞う平原に、空高く舞う鷹が見えた
- 平成22年の爪王との違い
- ★老いた鷹匠
- ★わかりやすく誇張した部分も
なんの説明もいらないので、とにかく観てほしい。って今日は千穐楽。今回はもう終わってしまいましたが、必ず再演はされると思うので。
原作は戸川幸夫。この原作がまたいいんですわ。私は図書館で借りて読んだのですが、とてもどっしりとした文章というか、最近こういう文章読んでいないなあとしみじみと感動しました。50ページくらいの短編ですので、ぜひ皆様も手に取って読んでくださいませ。舞台を観てからでも全然遅くない。舞台の感動がさらにアップしますよ。
あらすじ
「吹雪」という一羽の鷹を飼っている鷹匠。狐に荒らされて困っているという庄屋に頼まれて退治しに行く。
一度目は狐にやられて姿を消した吹雪だったが、何日かたってボロボロになって鷹匠の元に帰ってきた。その後傷のいえた吹雪は再び狐と戦う。
こんなストーリーを舞踊劇にしたものです。
今回の爪王。原作を読みながら
吹雪 七之助
狐 勘九郎
鷹匠 彦三郎
狐、勘九郎。鷹、七之助の組み合わせは今回が3回目。すばらしいです。
「吹雪」というたぐいまれな名鷹。それを表現する七之助。真っ白い衣裳に冠羽をあらわす髪飾り。たっぷりとした袖には何か少しはいっていたのか重量感がありはたはたと翻り、王者の風格。
幕開けすぐは、囲炉裏にあたる鷹匠と吹雪。鷹匠が囲炉裏の暖かい風をそっと吹雪に送ってやると、吹雪は、羽毛をふくらませるようにして温かい空気をまとう、毅然として満足げな表情。そこに吹雪と鷹匠の信頼関係が見える。
★余裕で鷹をいたぶる狐が憎い
目指す相手は、赤狐(勘九郎)。中央のセリから上がってきた狐は、雪の上で楽し気に遊んでいるよう。
「イケ~」(じゃなかったかな)という鷹匠の号令のもと、吹雪は飛んでいき、狐と戦う。
以前の「爪王」(やはり勘九郎、七之助)を映像で観たときは、互角な戦い方で狐は狐で必死に戦っている様子だったけれども、今回は狐が鷹をバカにしているような様子がなんともうまくて、勘九郎狐の余裕が憎い。
猫でも餌食をもてあそぶようなことをするけれども、狐はニヤリと笑って吹雪をいたぶり、「へへへ。ざまー!」とでもいうように蹴散らかしてぴょーんと下手に飛び込んでいった。そのジャンプのときに勘九郎は「けけけ!ケーン!」と笑っているようにも見え、本当に狐のようだった。
あわれ、吹雪はクルクルと雪の中がけの底に落ちていってしまった。
観客、思わずああっと声をあげる。
鷹匠は、「吹雪―」「吹雪―」と雪の中声をあげて探し回るけれども応えはなく、力なく家に帰りつく。後悔しても吹雪は戻らず、失意の鷹匠。
数日後、なにやら気配を感じて鷹匠が振り向くと、吹雪がボロボロになって帰ってきた。喜ぶ鷹匠。喜ぶ観客。
パッと幕が開くとそこは春。花は咲き、鳥は鳴き、何より春になってすっかり吹雪は体調も整った。
観客もほおっと嬉しい溜息。
★最後の鷹匠のプライドが勝利を呼ぶ
しかし、鷹匠は言う。
「吹雪よ、勝つのだ。赤狐に」
「狐に勝たなければ名鷹とも言われず、自分も名匠とは言われぬ」というようなセリフがあって、ちょっと「そんな名誉にこだわらなくても」と思ったりしたのだったが、原作を読んで、そんな考えが浅はかだと知った。
子どものころからずっと鷹匠として過ごしてきた老人だったが、すでに世の中は進歩して鷹狩りの存続を許さず、後継ぎもなく、代々続いた鷹匠の家筋を守る最後の主だった。だから、自分のすべてをつぎ込んで「吹雪」を名鷹とすることにこだわったのだ。生半可な気持ちでも、名誉欲でもない。
吹雪は鷹匠に捕らえられて3週間もの間水も餌も口にせず死ぬ寸前だったが一旦慣れると信じ合い、その絆は強固なものになった。原作によれば、鷹匠は、妻も甥っ子夫婦もその子供たちもいたけれど、「吹雪」に接することを禁じて、子どもたちに注ぐ愛情をすべて鷹に与えて、教育し、育てたのだ。
★雪舞う平原に、空高く舞う鷹が見えた
そして、再度戦いに出る鷹匠と吹雪。これも、舞台では冬にけがをして春に治ったように見えるけれども実際は、再び戦いに挑むまで3年かかっている。
春の景色から、戦いの場ではまた雪景色になっていたのは、時間の経過をあらわしていたのかなと思う。わからないけれど。
鮮やかな勝利。日の出に輝く金色の羽毛。誇らしげにうなづく「吹雪」。喜びに震える鷹匠。
幕。
平坦な歌舞伎座の舞台の上で、鷹匠の視線の先に空高く舞う「吹雪」が見えた。雪原の向こうにチラリと姿を現す狐が見えた。谷底に落ちていく鷹が見えた。狐と鷹が争い、雪を蹴散らかし、深紅の血しぶきが雪の上に飛び散るのが見えた。
わずか30分。濃密なドラマだった。
平成22年の爪王との違い
★老いた鷹匠
上記で少し書いたけれど、映像で平成22年のものを観た。
鷹 七之助
狐のことは上で書いたけれど、他にもちょいちょい違うところがある。一番違うのは鷹匠だろうか。彌十郎の鷹匠は、がっしりとしていてまだまだ矍鑠としている感じだったけれど、今回の彦三郎はずいぶんと年寄りの作り。
原作によれば、
「六十をずっと越えていた。額にも深いしわが見られたが、陽に灼けた皮膚は健康で艶やかだった。何よりも目立ったのは編笠の下から遥かの天空にじっと注がれている鋭い眼だった。」
とあるから、矍鑠としていた彌十郎型でもよいような気がする。
でも今回のずいぶんと腰の曲がった爺様のようにしたことで、この鷹匠の人生はもうそれほどないから、これが最後の鷹となるのだろうなというのは切々と伝わってきて、これはこれでよい鷹匠だと思った。
そして鷹匠の彦三郎!言われなければわからないほどの老けメイク。また彦三郎と言えば朗々としたバリトンのような美声(そして大きい)の持ち主なのだけれど、老人の「おおおおおおい。おおおおおおい。ふぶきいいいいい。ふぶきいいいいい」と探し回る声はいつものデカボイスということではないのに、切々としていながら、でも歌舞伎座の隅々まで響き渡って、胸打たれた。
★わかりやすく誇張した部分も
ボロボロになった吹雪が帰ってきたとき、今回は血のあとがたくさん衣裳についており、ボロボロ、傷だらけの様子が顕著だった。
また最後のシーンでは、朝日がカーっと昇り、そこで吹雪が金色になるという演出。
いろいろとわかりやすく、派手にしているのかなと感じた。
今から再演が待たれる。何度でも観たいですね。