「初めての歌舞伎を楽しもう」munakatayoko’s blog

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文七元結物語 観劇レポ 

落語をもとにしたいつもの人情噺文七元結とは一味も二味も違う文七元結物語でした。

 

いつもの文七元結はこちら!

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寺島しのぶさんが出るということで話題となった今回の文七元結ですが、彼女も父菊五郎が何度もやっている文七元結を観ているだけに「どう向き合っていいかわからない。まだわからない」とこぼすほど。

ただ全く違う作品だと思って見れば、これはこれでコクーンっぽい斬新な大道具だし、テンポもいいし楽しめた人も多いのではないでしょうか。コクーンだったらよかったかも!

 

獅童の長兵衛さんは、無難にこなしていました。

 

寺島しのぶはとてもよくて特に、声がとてもよく通って聞きやすかった。さすが菊五郎の娘だけある。ただ大きい声というのではなく、非常に聞き取りやすい。さすがでした。

 

玉太郎のお久もけなげでよかった。寒そうで赤キレしもやけの手足が痛々しく、必死の気持ちがよく出ていてそれが自然でありました。

 

孝太郎のお駒も情があってうまいし、國矢の藤助も、時にはいじわるに見えても店を守っているしっかり者、気持ちのいい若い衆としてよかった。

 

つまり役者はみんなよかったのですが、ちょっと引っかかった点もあります。

 

長兵衛さんが娘が自分の身を犠牲にして作ったお金をポイと文七にあげてしまうところですが、それを今回の脚本では神様のせいにしている。そこがどうしてそんなことにしたのかよくわからない。

当初は、「どんなすかたんでも心には小さな神様がいて、いい行いをするものだ」という意味かと思ったが、金を投げるとき雷鳴がとどろき、ラストシーンで「あの時神の意志を感じた」みたいな説明が長くてちょっと理解不能でした。

 

いいじゃないの。長兵衛さんみたいに目の前の困っている人を見ると、黙っていられなくて、「宵越しの金は持たねえ」みたいな無意味なプライド持っている奴がいても。それが娘が身を売って作った大事な金だとしても。何も神様のせいにしなくても。と思ったことでした。

 

もうひとつは、いつもの文七元結では最後に文七に店を出させることになるわけだけれど、その時に文七自ら

「今までの元結は、丸い束をそのまま使って売っていたので、そうではなくてちょうどいい寸法に切って売るようにすると無駄もなくていいのではないか」というアイデアを披露するのです。それはすごい文七のコロンブスの卵的な大発明で、きっと文七はずっと考えていたことだと思うのだけれど、「いうのは、今だ!」と旦那様に提案。一同「それはよいところへ気が付きました。これで繁盛間違いなし」「その新しい工夫の元結を文七元結という名前にしましょう」と認められ、晴れて結婚も決まり、商売繁盛間違いなしと太鼓判を押されてやれめでたしめでたしとなるんです。

 

そこの文七の提案がなかったら、なんでタイトルが「文七元結」という名前になったのかがわからない。

私は今回1度しか見ておらず気づかなかったのだけれど、その元結の工夫については確かに文七は言っていなかった。もしや、今回それを清兵衛さんが言ったのだろうか?(気づかなかったのでもし知っている方がいれば教えていただきたいです)

それでは文七の未来に向かう晴れ晴れとした気持ちも半減するし、もし清兵衛さんすら言っていなかったとすれば、タイトルの意味さえ分からなくなってしまう。

 

というわけで、最後はいささか「??」となった「文七元結物語」でした。