「初めての歌舞伎を楽しもう」munakatayoko’s blog

すばらしき日本の芸能、歌舞伎。初心者にわかりやすく説明します♪

はまった!三人吉三 観劇レポ

2月の歌舞伎座がとても充実していた。

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1部は、三人吉三の半通しである。三人吉三と言えば大川端の場しか知らない人も多いのではなかろうか。全部知っていた上で、大川端の場を見るならともかく(それを見取りというのだけれど)ココだけ見てもねえ。ちなみに平成28年以降だけの上演記録を見ると、今回含めて三人吉三は8回もかかっているけれど、そのうち大川端だけが5回。その貴重な半通しの三人吉三。いやあ、よかったです。

何がよかったのか。

 

あらすじはこちら。

munakatayoko.hatenablog.com

ニンにぴったりの三人と源次坊

少し人が好いが故に苦悶する和尚が松緑武家あがりで品のよさが残りつつ、アウトローに堕ちたお坊が愛之助、女装の泥棒お嬢を演じる女方七之助

 

 ・七之助の圧倒的な怪しい魅力

男であって男でなく、女であって女でないような中性的な魅力。そこにいるのはお嬢吉三という、5歳の時にかどわかされて親元から離れ、以来辛酸をなめ尽くして今に至ったのであろう、美しい泥棒。七之助がぴたーーーっとはまっていました。

 

 ・人のよい和尚だからこその苦悩

松緑の和尚は、ちょっと人の好さが垣間見える和尚でこれはこれでいい。たとえば、妹が来たと出迎えるところ。源治坊とのやり取りなどに、なんとも言えない人の好さを感じてしまう。

生首を持ってチョコチョコ走り込んできたところは、カボチャ泥棒かな?的な感じで、これはコクーンの演出の方がいいと思うが。

無常感、怒り、悲しみを、体の底から迸らせながら、血の涙を流しながらセンターからバーンと登場したね、コクーン勘九郎は。

 

 ・ガス抜きしてくれる源次坊の存在だが

源次坊の存在も忘れ難い。全体的に暗くて、苦しい展開が多いものの、吉祥院にいる寺守の源次坊はあまり深く三人の事情を知らない態。

何かあったのだろうなとか、あぶねえな、といった嗅覚はきくものの、基本的に深入りせずに、そこにいる。

 

お坊が人目を忍んで寺にやってきて

「お頼み申します」といったときの、

「あ~い、なんだえ」という脱力するような返事。でも人に追われているのかなと察すれば「須弥壇の下に隠れていねえ」とアドバイス

「酒を買ってきてくんな」と言われれば、ほいさっさ。ちょっぴり口は軽いらしいが、飄々としていていい。

その後、十三ととせを案内して連れてくるのも源次坊だ。

包丁で、買ってきたしゃもをさばこうとする源次坊に和尚は「てめえにできるか」と聞く。しゃもをさばくなんて、むずかしそうだもんね。

「できなくって(できねえものか)」と答えて、源次坊は引っ込む。

その後、十三ととせを殺すことを決意した和尚が悲痛な思いで

「ああ、悪いことはできねえなあ」と呟き、目頭を押さえていると

「なに、できねえことがあるものか」と源次坊がのんびりした口調で言いながら出てくるので、和尚も観客もぎくっとするのだけれど、前の話の続きで、源次坊は、

ちゃんとしゃもをさばけたよという意味で「できねえことがあるものか」と少し得意げに出てくるのだ。

源次坊から、よく研いだという包丁をもらい「これはよく切れそうだ」と凶器として使うことを決意する和尚。

「切れるどころか、人でも切れらあ」とのんびり答える源次坊。

和尚は源次坊には買い物を依頼する。それは十三とおとせを入れる棺桶の注文だ。

 

2人の会話は、かみ合っているようで思い入れが全く違うからかみ合っていない。観客にはそれがわかるからそこが面白いし、鳥肌が立つ。

源次坊の「ふわ~い」という絶妙の空気感が、舞台の張りつめた緊張をガス抜きしてくれる。

 

今回4回めの源次坊だという坂東亀蔵、はまっている。うまい。桶にもはまった(笑)

 

  切ない!十三郎とおとせ

大川端のおとせは、今回壱太郎。夜鷹のちょっとくずれた雰囲気の出たおとせがよかった。そして和尚に裏手墓地の場で殺されるときのふたり。手を合わせる二人の手は丸まって犬のよう。着物はブチの犬模様。

大詰めの立ち回り

やっぱり、大詰めの立ち回りがいい。

降りしきる雪、大きく動く周り舞台。捕手たち。

屋根に駆け上がるお坊、捕手たちに囲まれるお嬢。助けるお坊。

花道ではお坊と捕手たち 回っていく舞台の上手側ではお嬢と捕手たち。

どっちを見ればいんだーいという悩みはあるものの、ダイナミックで、美しくて、スピーディ。

 

ドンドンドン、ドンドンドン、ドンドンドン。

バチを握って力一杯太鼓を叩くお嬢に躊躇いはない。

わかりにくいところは、原作にあたる

大川端で、夜鷹のおとせから金を奪うお嬢。そこへ太郎右衛門が来て、その百両を!と言って取ろうとして逆にお嬢につっかかるが、逆にお嬢にしてやられて庚申丸まで奪われる。

なぜ、お嬢は、あんな貧乏たらしい夜鷹を狙ったのか。

なぜ、すぐに懐に手を入れて財布をねらったのか。なぜ、太郎右衛門もお嬢も100両とわかったのか。

 

原作を読むと、お嬢は最初からおとせの懐に手を入れて奪うのではなく、おとせの懐からぽろりと財布が落ちてしまい、おとせに聞くと「百両だ」という。という経過があることがわかる。

また、

その経過を聞いていて百両というワードにひかれて太郎右衛門も奪いに来る。

 

 ・お嬢とお坊の関係は?

お嬢とお坊はB Lの関係にあると言う解釈が最近は多い。ただ筋書きにもあったように、お嬢は八百屋おお七の見たてであるというのが作者の考え方であるので、簡単にBLとするのは避けたい。

先日の摂州合邦辻のように、次第に作者の意図から作品の解釈がずれていくことはあるのだろうが、ここは慎重に。

木ノ下歌舞伎を主宰する木ノ下さんは、その傾向に警鐘をならしており、氏の三人吉三 では一切BLっぽさは排除しているとのこと。

役者や演出の如何でいかようにでもなっていくので、観客もそこはしっかり観ておきたいな。  

 ・十三郎とおとせの首はどうなっちゃったの?

ここもカットされているけれど、和尚は2人の首を役所にもっていった。しかし、お嬢とお坊の顔を知っている武平に「この首は偽首だ」とあばかれ、無駄になってしまったのだ。原作では、最後の場面でこの武兵衛と和尚とのやり取りがある。

 

武兵衛 和尚め、覚悟。

和尚 おのれ、武兵衛め。よくも訴人をしおったな。

武兵衛 おお、偽首だから訴人をした。

和尚 犬死させた返報は、うぬが命をもらったぞ。

捕手 それ、武兵衛を助けて打ってとれ。

八人 合点だ。

三人 何をこしゃくな

 

てなやりとりがあり、そのあとの鳴り物と、富本もとてもいいんだけれどなあ。

 

その後に、久兵衛がきて、や、そちは別れし倅なるか。

となるのだけれど、現行だと、いきなり久兵衛が出てくるので、「なんかまた都合よく現れたなあ」感が強く、ちょっと観客から失笑が漏れる。

ほかにもたくさんあるけれど、目立つのはもうひとつ。

 ・お触書に和尚の名前は書いていないのはなぜ?

櫓の下に、指名手配の三人吉三のことが書いてある。ところがそこにお坊とお嬢のことは書いてあるが、和尚の名前はない。読み取って疑問を感じた人もいるのでは?

 

和尚は、首をもって役所に駆け込んでいるので、お触書に和尚の名前はない。

 

ただでさえ、わかりにくいのに、こうやってカットされていくからますますわかりにくくなっていくのがとても残念だ。

 

とはいえ、なんとなく観ている分にはあまり矛盾も感じずに楽しめる。ともかく面白かった三人吉三なのでした。

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▲2月の歌舞伎座はこれ!地口行燈。