「初めての歌舞伎を楽しもう」munakatayoko’s blog

すばらしき日本の芸能、歌舞伎。初心者にわかりやすく説明します♪

井伊大老~背景を押さえておくとずっと面白い

「井伊大老が暗殺される前夜のお話。妻としみじみと語り合うという北條秀司の筆冴えわたる作品。」なんて11月の演目紹介で書きましたが、確かにそうですが、決してほのぼのとしたものではないです。

あなたがもし、井伊大老も知らなければ安政の大獄も知らなければ、何にも知らないのであれば、このお芝居、照明暗いし、動きは少ないし、眠くなってしまいますよ。

隈取も早替わりもぶっかえりも何もありません。

でも、ちょっと予習をしておくと、ずっと深みのある作品であることがわかると思います~♪

 

 

井伊直弼って、悪い奴じゃなかった?

井伊直弼という人は、江戸末期、彦根藩井伊直中の14男に生まれました。え。14男。つまり、藩主にはさすがにならないだろうとのんびり育ったのではないでしょうか。それが、兄が死んだり、他の家を継ぐなどし、本人の能力も高かったのでしょうが、いつの間にか彦根藩主になってしまいました。さらには大老にまで上りつめますが、安政7年(1860年)3月3日の桜田門外の変で暗殺されてしまうのです。

f:id:munakatayoko:20211118225811j:plain

桜田門

 

井伊直弼は、国のために正しいと信じ、鎖国を破ってアメリカと条約を結んだことで、世間からも批判を受けます。一橋家を退けたことで尊攘派水戸藩尊王攘夷派の志士も敵に回すこととなり、抑えるために一橋派の公家や大名を始め民間の志士を多数処罰しました。これが安政の大獄です。そのため、なんとなくですが井伊直弼は悪い奴というイメージがある人が多いかもしれませんね。そんなイメージがちょっと変わってしまうのがこのお芝居です。

新国劇として上演された四幕五場の作品

もともとは、昭和28年に南座新国劇のために北條秀司が書き下ろした四幕五場の作品で、その後昭和31年に明治座で歌舞伎として初演されました。

不穏な情勢に、不吉な予感を感じる奥書院の場
井伊直弼をいったん狙撃した水無部六臣と直弼が語り合う濠端の場
娘鶴姫が亡くなる元の奥書院の場
があって、そのあとに今回のお静の方の居室の場があります。

 

つまり、今回のお静の方の居室の場までに、直弼は安政の大獄を決行し、世間の批判の目にさらされ、娘の死を経験しています。また、一旦は直弼に刃を向けた水無部六臣(実は幼馴染)も、自らの行為を悔い、自刃してしまいます。

直弼は、幼馴染の死や娘の死を通して、死というものがいかに残酷であるか知り、多くの若者を死に至らしめた自分の行為を深く嘆き、傷つきますが、もう後戻りはできないのです。


この後からが、今月の「井伊大老」のお話です!

f:id:munakatayoko:20211118230042j:image

今月の「井伊大老

側室のお静の方が、仙英禅師を招いて鶴姫の菩提を弔っています。

直弼はこのころ、すでに自分の命の灯が揺れ動いていると悟っていることに仙英禅師は気づきます。仙英禅師が立ち去った後、直弼とお静の方は、しんみりと酒を酌み交わすのです。

外には季節外れの雪。床の間には桃の節句に飾られたひな人形。凛とした美しい情景です。

藩主になる前に彦根の埋木舎に住んでいた、あの頃はよかった。しかし、今は「日本が続く限り国賊と呼ばれ、鬼畜とののしらねばならないのか」「死ぬにも死ねぬ男だ」と直弼は今の境遇を嘆きます。

お静の方は、「それでよいではありませぬか」と答え、正しいことをしていても埋もれている人はいるのですといって、直弼の気持ちに寄り添いながら励まします。

 

直弼は、最初こそうなだれているものの、次第に「世のそしりがなんじゃ。後世の批判がなんじゃ。直弼は直弼が生きる世の最も正しい政道を行のうたのじゃ。その誇りを胸に秘めて、直弼は石の如く死ねばよいのじゃ」と覚悟を決めるのです。

 

なんだかこう書くと、すごく井伊直弼が単純でバカみたいですけれど、お芝居ではもっと淡々としみじみと進んでいきます(;^_^A

 

愛したお静の方と幸せだった埋木舎での日々を思い、何度生まれ変わっても夫婦だと静の方を抱き、「来世は間違っても大老にはなるまい」とつぶやくのです。く~。

ここで幕。

 

そして翌日、桜田門外の変で亡くなるわけですが、平成26年11月の初世白鸚33回忌追善では桜田門外までつけていますね。

明日死ぬことを知っているのは観客だけ

淡々と進む芝居では、直弼もお静の方もある程度「直弼の死を覚悟」しています。けれども実際の死がいつなのかは知りません。「死ぬだろう」と「確実に死ぬ」は全然違いますよね。

「死ぬのは明日だよ」と知っているのは、観客のみ。粛々と進んでいく芝居の中で、刻々と死が迫ってくる感じがなんとも言えずぞわぞわします。

人間味あふれる井伊直弼

いかがでしょう。井伊直弼のイメージ変わったのではありませんか?

世が世なら、のんびりと田舎で豊かな暮らしをしていたであろう井伊直弼。時代の波に翻弄されつつ、おのれが正しいと信じる道を行く。しかし、逡巡もあり、後悔あり、落ち込み、慰められ、愛する人の言葉でまた何とか一歩前に進んでいく。とても人間味あふれる人ですよね。
もちろん、北條秀司の作ったフィクションではありますが、こんな人だったのかもしれないと想像を膨らませると、一辺倒だった幕末の景色もまた別のものに見えてくるようです。