「初めての歌舞伎を楽しもう」munakatayoko’s blog

すばらしき日本の芸能、歌舞伎。初心者にわかりやすく説明します♪

よかった袖萩祭文 2021年2月歌舞伎座

2月2日にあけた歌舞伎座。2日目になる4日(木)に、歌舞伎座3部を観てきた。

意外。と言っては失礼だが、2月大歌舞伎の袖萩祭文が大変よかった。

 

寒くて暗くて悲しい話だけれど

 

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大体、ヒロインが出からずっと結局死んでしまうまで泣きっぱなしで、寒くて暗くて悲しい話なんて、おもしろかろうわけがない。実際、前回見たときは、途中で沈没したと思う。

それでなくても、「歌舞伎に出てくる女性は、よよと泣き崩れて運命をはかなんでいる人ばかり」と思われがち。そうでもない女性はたくさんいるのに、(例えば今月1部で登場する八重垣姫とかね)まんまその通りの「よよと泣き崩れて運命をはかなんでいる女性」なんて、今から歌舞伎を初めてみる人におススメできない!七之助の袖萩だけれど、七之助ずっと目をつぶっているわけだし!

 

と思っていたのだが……。

 

蓋を開けてみると、袖萩祭文、よかった。なんでだろう。私なりに考えてみた。

あらすじと見どころは、すでに先日書いているので、こちらを読んでください。

munakatayoko.hatenablog.com

演技うまい軍団

七之助のああーっという泣き方が一辺倒ではなかったからかな。何せずっと泣いているので、一辺倒だと聞いていて嫌になってしまう。七之助は、泣いていたり、すすり泣いていたり、泣いていなかったりで、それほど「泣きっぱなし」という感じはしなかった。

十七世勘三郎の追善ということもあり、貞任に勘九郎、袖萩に七之助、宗任に芝翫、そして勘九郎次男の長三郎がお君。
くわえて脇を固めるのが、父平傔杖直方が歌六。母浜夕が東蔵八幡太郎義家が梅玉と鉄壁の布陣。

本音と建て前の板挟みに苦しむ平傔杖直方の辛さを歌六が重厚に演ずれば、夫と娘への愛の板挟みとなる浜夕の嘆きは、東蔵の演技が涙を誘う。この二人の芝居にあっては、もう文句なし。

東蔵のおっかさまというのは、いつだって慈愛たっぷりだ。賢明な母というより、子どもの悲劇におろおろとしてしまって、冷静な判断ができなくなってしまうような愛の塊のような母親がうまい。悲劇におろおろするだけではなく、弟子の出世をわがことのように喜んでくれるのも東蔵演ずればこそだ。
「傾城反魂香」で、奇跡を起こし土佐の名字を名乗ることのできたども又に「でかしゃった。でかしゃった」と喜ぶ北の方の演技は、私が見る限り、他の誰の演技よりも慈愛たっぷりだった。ちなみに、前回の袖萩祭文では、東蔵さん平傔杖直方役!

要するに、みんな上手いのだ!

家族の愛

父は、娘を愛し、母もまた。袖萩は、勘当を受けた身でありながら父の難儀を知って、心身ともにボロボロになりながら親に会いに来る。
そんな袖萩に寄り添うのは、年端もいかぬ娘のお君だ。目の見えない母を支え、小さなことでも母のためになるものならなんでもやってあげようと思っているけなげな女の子。

父は勘当をした娘に会うわけにはいかぬと、会うことを拒絶する。しかも、袖萩の夫が敵対する男と知れば、なおさら心を許すわけにはいかない。妹娘と違う境遇となった姉娘を不憫に思っているが、口をつくのはキツイ言葉ばかり。やっと本当の気持ちを口に出すことができたときは、おのれの命が尽きるときだった。

袖萩の夫、貞任は、妻子を捨てるようにして行方不明となっていたがそれも大儀のため。決して冷血非情な男というわけではない。

親の仇である八幡太郎義家に素性がばれたので、本性を顕し、ええいままよと斬りつけるものの、義家に、「せめて妻子に声をかけてやれ」と言われてウっとたじろいでしまうところなども、グッとくる。

 

要するに、袖萩祭文は、平傔杖直方親子、貞任夫婦、親子、二重三重の家族の愛の物語なのだ。


中村屋という家族愛

それに加えて、中村屋という家族が全体を覆う。先に書いたように、十七世勘三郎の追善である。

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息子の十八世勘三郎は今回の追善に出ることはかなわなかったが、三十三回忌追善には強い意欲を示していたという。

歌舞伎座全体に十七世、十八世の魂魄を感じる。

孫とひ孫ががんばっている追善の舞台である。どんなにうれしいだろう。ちなみに私が行った日には、十八世のお姉さんである波乃久里子さんも観に来られていた。3部のみ、十七世のために写真の前に香がたかれていたが、うれしそうに「お香を焚いてくれているのよ」と同行の方に話していた。いやあ、うれしいだろう。

 

十七世勘三郎の孫が、貞任の勘九郎と袖萩の七之助。宗任の芝翫は十八世勘三郎の妻の兄、そしてお君を演じるのが、ひ孫にあたる長三郎だ。

 

この中村家という家族は結束が固く、今の勘九郎七之助も、とっても仲がいいのはよく知られている。ある兄弟歌舞伎役者が「あの二人は本当に仲がいい。楽屋でもずーっとしゃべっている」(緊急事態宣言中の話ではないです)と言っていたのも大げさではないと思う。

 

そして、今回一番心配されたのは、長丁場となるお君役の長三郎の集中力が続くかどうかだったが、難なくこなした(少なくとも私の見た二日目は。この調子でがんばれ)。

長三郎は、七之助演じる袖萩にぴたりと身を任せ、目を合わせ、絶大な信頼感に身を寄せて、乗り切った。七之助は、まるで親鳥が雛を抱くように、菰を広げて長三郎を抱き寄せ、すっぽりと包み込み、長三郎は安心してのびのび演技ができていた。あの100%の信頼感は、普段の生活から培っていないと、一朝一夕に生まれるものではないだろう。

要するに、今回の袖萩祭文は、中村家の家族の物語だったのだ。

中村家を支える観客の愛

そして、さらに中村家を支えるのが中村家のファンである。この日私は1階の2等席(後方)で観劇をした。大向こうも掛け声もないのだけれど、拍手はある。1階の2等席というのは、2階席の下に当たる。わーっではないか、なんというか、天井から拍手の地響きのようなものが響いて、そんなことは初めてだったので驚いた。

私も含め、十七世勘三郎の演技を見たことのある人は多いだろう。そういう人たちが孫、ひ孫の演技を見て涙し、拍手をする。もちろん新しいファンも。

つくづくすごいことだと思った。

 

この地響きのような拍手は、「袖萩祭文」に次ぐ「連獅子」ではさらにすごかったのだが、それについてはこちらで。

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