小林麻央さんが亡くなった。心よりお悔やみ申し上げます。
私は、麻央さんのブログをずっと追っていたけれど、それには、ワケがある。
海老蔵のファンだからではない。
私の姪っ子とほぼ同じような状態だったからだ。治療法とか経過は違うけれど、年齢も子供の年もほぼ同じ。麻央さんはすごく美人だったのに、ちょっと顔がむくんできたり目の周りが黒ずんで来た最近の顔はゾッとするほど姪っ子に似ていた。姪っ子は2年前の今日、幼子を二人残して亡くなった。
だから、麻央さんのブログを読んでいてその日がもう遠くないのはわかっていた。
私は、歌舞伎が好きであるが、がん患者の家族でもあった。
★多くの人は「海老蔵の奥さん亡くなってかわいそう。小さい子残してかわいそう」と感じるだろう。でもそれだけではない。
★麻央さんのブログは多くのがん患者とそれを支える家族に強い支えになったと思う。多くのコメントがそれを物語る。癌を公表し、その後ありのままの治療法とか今の気持ちなどを公表していったことは、ありえないほどとても勇気のいることで、私は後世に残る記録として「アンネの日記」に匹敵するくらい価値のあるブログだと思っている。
多くの癌患者と家族が、悩み、泣き、迷いながらたくさんの選択肢から進むべき道を選ぶ。それがその人に合っているかどうかは、誰にもわからないし、正解はない。だから麻央さんも何度もブログの中で「こんなやりかたがありました。これをやってみたら調子がよいです。でも誰にでも良いわけではありません」と書いている。
癌患者さんとの交流をすることで自らも勇気を得て、力をもらって、歩んできたのだ。力尽きてしまったけれど、それは決して無駄ではない。
支えた家族の努力も無駄ではないのだ。それを教えてくれる。ブログを読んでいれば、それがわかる。
私も姪っ子に関していえば、後悔しかない。姪っ子は、麻央さんみたいにブログを書いて、多くの人に影響を与えることはなかった。ひっそり悩んでひっそり死んだ。それでも、多分濃い人生だったと思う。伴侶を得て、二人の宝物を得て、一生懸命生きたのだから。
★その一方で、小林麻央さんは歌舞伎俳優市川海老蔵の妻だった。俳優というのは、あまりプライベートを公表しないものだ。それは、特に悲しいことを公表してしまえば、演技の裏にそれがチラチラ見えてしまうからだ。本人がちゃんと演技しているかどうかは別に、観客の方が暗さを見てしまう。実際、2月の「どんつく」での海老蔵の演技に「ここはもっと明るい方がいいのに、暗すぎる」と先入観をもって感じてしまっていた。それは、俳優にとってあまりいいことではないだろう。
★歌舞伎役者の妻という位置づけでのみ、麻央さんを見ればあまりいい妻とは言えないだろう。悲劇的イメージを海老蔵に与え、亡くなった翌日にはもう会見だのなんだの悲しみに浸る間もない。夫は芸に精進することもできない。梨園の妻としての役目を果たすこともできない。
★けれども、麻央さんの存在価値は、「海老蔵の妻」という範疇を超えている。そこを、海老蔵自身も気づいていないし、ましてやマスコミも気づいていないのではないか。
★海老蔵は、プライベートは別として、本業に専念してよいのではないか。
海老蔵は今日の会見を「多くの応援していてくれた方々のためにやってもいいのかな?自分としては、亡くなりましたということを報告するしかありませんが」と言っていた。マスコミは、「海老蔵の妻」としか麻央さんを見ていないけれど、麻央さんはその範疇を超えた存在となっているのに、そのスポークスマンを海老蔵ひとりに背負わせるのは酷のような気がする。
★麻央については、●●から話します。私は芸に専念します。でよくないか?マスコミがそれを許さないのだろうか。酷だと思う。
★NHKの7時のニュースでトップで麻央さんのニュースが9分近く流れたと聞いた。それはさすがにおかしくないか。いくらなんでもおかしくないか。ワイドショーに任せておけばよいのではないか。
★姪っ子は、2年前の今日亡くなった。見守る人もなく朝ひっそり亡くなった。本当に悲しいことだ。大好きなメロンを家族に送って冥福を祈る。