5月28日(日)Eテレで夜9時から、2月に歌舞伎座で上演された「猿若江戸の初櫓」と「梅ごよみ」が放映されます。とてもすばらしいので、可能な方はぜひご覧下さい。
「猿若江戸の初櫓」は、明るくて楽しめます(30分)。
出雲の阿国と道化の猿若(初代勘三郎)が、江戸にやってくる。めでたく猿若座として歌舞伎を演じることを許される、めでたやめでたや…という内容です。
つまり、踊る勘九郎にとっては、自分の存在意義の大元であるような演目、
「これは、今日の猿若でござる!」と言うセリフにも、万感の思いがこもっているように思えます。
初代の(猿若)勘三郎は、とっても明るくて皆を引っ張るオーラを持っていて、踊りも上手だからリズム感もある人だったそうです(十八世勘三郎さんみたいですね♪)
あるとき幕府のご用船が建造されて、江戸に入港させようとしたのだけれど、あまりにもバカでかくて、船をこぐ漕ぎ手たちの拍子があわなかったんですって。
それで奉行の命令をうけて初代の勘三郎が船の先にたち、音頭をとったところ、あまりにもその音頭が上手で、みんなの櫓拍子もピッタリ合ってぶじに船は入港。そこでご褒美にもらった幕から「柿・白・黒」の幕を考案して中村座の定幕になったそう。
そんなエピソードを元に作られたこの30分ほどの演目は、だから中村家にとってはとても大切な宝物のような演目なんですね。
この芝居の中では、狼藉ものに襲われて困っている夫婦を猿若たちがたすけ、猿若一座が夫婦の荷車を曳いていく。そこが軽やかで賑やかでよかったものだからその様子をみていた奉行に、芝居小屋を建てることを認めてもらうという内容になっています。
それから360年たった昭和62年に(1987年)に、江戸歌舞伎360年を記念して猿若祭が歌舞伎座で催され、この舞踊劇が初演。
今回は、江戸歌舞伎390年として猿若祭を開催。
そして、勘九郎の二人の息子も3代目中村勘太郎、二代目中村長三郎を名乗ることとなりました。中村家にとって、とても大切な月です。
ちなみに亡くなった勘三郎は18世ですが、この時の猿若勘三郎の子孫というわけではありません。お家柄がとりわけ大切にされる歌舞伎界ですが、今の歌舞伎界の人たちも8割は外から養子に入った子孫だったりするそうです。
とは言っても、中村家にとって大切な今月であることは間違いなく、
伝統を受け継ぐプレッシャー、子どもを見守るお父さんとしてのプレッシャーを糧にして演じる勘九郎、七之助なのです。
そんな気持ちをわかった上で見ると、より一層興味深いかもしれません。