「和歌」をテーマにして講談・落語・狂言という企画でした。
講談 「西行法師・鼓ヶ滝」旭堂南左衛門
講談というと、ヒーローが出てきてとっても力が入って、手に汗握るという展開を思い浮かべますが、これは落語でもよく上演されるとあって、力むような話ではないのでした。以前、国立劇場で「講談三夜」という企画を観たときにそういえば「マリリン・モンロー」なんて講談もあったのだわと思い出しました。
で、その時に旭堂という講談師が3名も出てきて、上方講談師の名であることを知りました。このとき、3人旭堂の方が語っていずれも面白かったのですが、今回出演の旭堂南左衛門さんは、上方講談を継いできた旭堂南陵3代目の薫陶を受けた方だそう。
要所要所が締まっていて、力が入りすぎず、抜けすぎず、とてもよかったです。
そしてお話の内容が、まるで創作かなと思うほど現代にもマッチした話で、身につまされました。
西行法師の話です。
歌の修行中鼓ヶ滝という滝を訪れて一首詠んだ西行、なかなかよくできたとご満悦。そしてあばら家に宿を求め、そこの老夫婦と孫娘に乞われて歌を披露したところ、こうした方がいいとそれぞれ添削されてしまいます。ムっときたものの確かに直した方がよい作品となったため、大いに反省し、精進して立派な歌人になったという話。
ライターとして書く立場でもあり、ライターから上がってきた原稿を直す立場でもある私。めちゃくちゃ身につまされました! 詳しくは書けません(笑)!!
いやあ、あるあるです。私も精進せんと…。
細かい心理描写がなんといいますか、よくわかります。西行法師に題材をとって現代に作られた話かと思うほどだったのですが昔からある話のようで、要するに今も昔も人はあまり変わらないということですね。最近も似たような経験があったので、聞いていて冷や汗が出るやら脂汗をぬぐうやら。それは西行の立場だったか老夫婦の立場だったかは秘密。
ま、そんな私ごときの低レベルのお話ではなく、解説を読むとさらにこの作者の並々ならぬ技量を知ることにもなるのでした。(誰だろう?作者)
西行の和歌を直していった老夫婦と孫娘の直しも適切なことながら、突っ込みどころはほかにもあって、大真面目に添削をすること自体がばかばかしいと作者は言っているのではないかというのです。
ここには、和歌の添削指導を皮肉るような要素もあるのではないか
(解説 「鼓ヶ滝」と「崇徳院」の和歌について 渡部泰明)
和歌の添削指導!昔からあったのですね。
私も冷や汗を流すだけでなく、そこまで教養をさらに高めたいと思うのでした。
さらに調べていたら、こんな絵本もありました。神田松之丞さん(現・伯山)が監修していた!
落語 崇徳院 古今亭菊之丞
昨年の逸青会でとてもよかった菊之丞さんだ!と思っていたら、御自身も枕で逸青会の話をしていたので、印象深いイベントだったんだろうな(大変だった!)と思うなど。
まあ、能舞台で落語を演じた経験という話からでたことでしたが。
落語を知らずに「崇徳院」というタイトルを聞くと、怨みに怨みを重ねて呪いをかけまくって死んだ崇徳院のおどろおどろしい話かと思いきや、まったく違います。崇徳院の和歌をめぐっての恋煩いのお話です。軽やかで楽しい落語でした。崇徳院、出てきません。
解説を読んだら、さらに「鏡が割れる」という一見関係ない下げの「鏡」も、崇徳院の歌が作られた源をたどればあながち無縁でもないということが書いてあり、実に深いなあと感じ入った次第です。(解説 「鼓ヶ滝」と「崇徳院」の和歌について 渡部泰明)
最後の狂言では残念。沈没してしまいました。ごめんなさい。哀しみ。
和歌がテーマの今回の夏スペシャル。昔は和歌ももっと身近な存在で、有名な人の和歌の上の句を聞けば、さっと下の句が出てくるような文化的素地が庶民でもあったのでしょうか。
昨日は台風が近づいており、帰りは一体どうなるかと思って長靴で能楽堂に行ったのですが、能楽堂を出たときには雨が降った痕跡はあるものの自分は降られず、無事に家に帰りつきました。
台風の被害が少なくすみますよう祈っております。