「初めての歌舞伎を楽しもう」munakatayoko’s blog

すばらしき日本の芸能、歌舞伎。初心者にわかりやすく説明します♪

8月15日

私は昭和33年生まれ。意外と終戦後それほど時間がたっていないときに生まれたんだと気が付いたのはずいぶんと大人になってからだった。

 

小学校のころには8月といえば戦争特集が毎日のように新聞にでかでかと載り、テレビでも盛んに放映されていた。

岸壁の母」なんて歌が流行り、今でも息子が帰ってくるのを待つ母親の歌が多くの人の涙を誘っていたけど小学生の我々は、なんとも感じなかった。今思えばなんとツライ歌だろう。

 

夏休みの宿題には「お父さんとお母さんに戦争のお話を聞きましょう」があった。

私は両親から聞いたいくつかの戦争の話を覚えているけれど、それはその宿題のお陰かもしれない。積極的に話したいことではなかっただろうから。

 

夏休みの宿題は、時代を経るにしたがって「おじいちゃん、おばあちゃんに聞きましょう」となり、今やもうおじいちゃんおばあちゃんも戦争を知らない世代。リアルな感覚を感じられないのも仕方がないことかもしれない。戦後79年たったのだ。翻って私が10歳のときの80年前といえば、明治時代の日清日露戦争の時代だ。

「明治は遠くなりにけり」なんて言葉があり、確かに私たちにとって明治はおじいちゃんたちの時代という感じで、あまり身近には感じられなかった。79年たつってそういうことなのだ。けれどもそれで済ませていいことと悪いことがある。

 

なんと今の若い人達は8月15日がどういう日なのかを知らないとか。それは若い人達の責任ではなく、伝えなかった大人の責任だろう。

 

だからちょっとずつ、私も父母から聞いた戦争の話をしようと思う。

 

母のこと

母は六本木に住んでいたので、昭和20年5月24日の東京青山の空襲を知っている。空襲のあと青山通りには死体がたくさんあったという。また学校がどうなったのか心配して叔母と小学校を見に行ったそうだ。坂道を駆けあがって、坂の上から見たときに小学校がなくなっていて、「あ!学校がない!」と妹と手をとりあったということだった。

その衝撃はどれほどのものだっただろう。

www.nhk.or.jp

そのとき母は16歳。

 

昭和20年8月2日の八王子空襲にも合っている。当時姉の夫が陸軍少尉で八王子にいたのでたまたま遊びに行っていたときに空襲に合ってしまった。焼夷弾から走って逃げたという。

私の記憶では機銃掃射から逃げたように思っていたが、今調べたら焼夷弾の攻撃だったようだ。450名も市民がなくなったということで、改めて恐ろしさを感じている。(東京陸軍幼年学校に叔父はいた。消失したとウィキペディアにある)

ja.wikipedia.org

その時持っていった缶詰がすっかり焦げて食べられなくなり、「損したわ。早く食べておけばよかった」という笑い話にされていたので、子どものときにこわくなく聞いていたけれど、どんなに恐ろしかったことだろう。

 

戦争を題材にしたドラマはよくあるが、よく出征をする兵士に「必ず生きて帰ってきてね」などと声をかけるシーンがあるが、母はその都度ぷんぷん怒っていた。いちいち振り返って私の顔を見て「こんな事絶対言わなかったから!」と言っていた。

 

終戦時に16歳の母は、日本の勝利を信じる軍国少女だったのだ。一生懸命国のためにがんばっていた少女を戦後、大人はあっさりと裏切って、どれほど傷ついたことだろう。

 

終戦の日に、何を思ったのか母に聞いたことはない。祖父は軍人だったので無事命ながら得たことに安堵したのだろうか。

 

ちなみに私の姑は福島で、そのとき15歳。終戦の日のことを聞いたことがある。

終戦を知り、履いていた下駄をぽーーーーんと空高く蹴り飛ばしたというのだ。抜けるような雲一つない青空にぽーーーんと蹴り飛ばされた下駄。

 

気の強い姑らしい。

 

 

父の話はまたあとで。

 

父母の世代よりもう少し下の世代になると、本当にツライ思いをしていて何が何やらわからぬうちに戦争が終わっているという感じだろうか。

叔母は、疎開に行ってよほど辛かったのか、ほとんど戦争の話はしなかった。

 

私はこの時期よく読むのが、野坂昭如の「終戦日記」

 

これは本当に泣ける。野坂昭如と言えば、実体験に基づいた「火垂るの墓」の作者である。自分の当時の思いと、それだけではさっぱりわからないので、いろいろな人たちの日記を読み解きながら、いったいなんだったんだ?と時代を振り返っている。

 

人の日記を読むという態で冷静さを保ちつつ、結論として怒りと悲しみを抑えることができない野坂。それでも「空襲は天変地異ではない」

「ぼくはぼくなりにあの戦争と向き合い、書き続けることこそ、自分に与えられた業だと思い定めている」と書いて筆をおいているのだけれど、それが戦後60年の節目の19年前。

さらに戦争は風化している。

 

この本は大変おすすめです。

 

 

なぜドイツは戦後徹底的に反省教育をしたにもかかわらず、日本はどういうことがあって、なぜ戦争に至り、300万人を超える日本人が死ななければいけなかったのかを総括していないのだろう。

野坂昭如の血を吐くような「『終戦日記』を読む」を読んでいると、なあなあで済ませて蓋をしてごまかして、前へ前へと進んでどうしようもなくなってがんじがらめになっている今の日本の根源が見えてくるようだ。

 

もう1冊、私がよく読んでいるのが澤地久恵の本で、どこか見当たらないので見つかったら紹介したいと思う。澤地久恵も終戦時14歳だった。

 

そして20歳だった父の話、祖父の話も、少しずつ。