→
行った日に書いた「感想以外のレポ」から続きます
ロビーから、廊下を抜けて会場へ入ると、ぱあ~っと真っ赤な席が目に入る。会場全体が円形になっており、従来の舞台と違うことを実感。
SNSで初日から絶賛されていたFFX。新作は、歌舞伎を知らないFFXファンにはその再現度の高さが絶賛され、FFXを知らない歌舞伎ファンからは「ゲーム知らなかったけれど、面白かった!」との声高し。
イヤ本当に、ゲーム知らなくても楽しめました。FFXを知らない歌舞伎ファンの目で感想を述べます。
壮大な物語に唖然とする
お話わかったよ~といっても、単純なお話だったわけではなく、実に深い。それなのに理解できたのはそれだけ原作はもちろんだが、脚本もよかったからだろう。
単に、悪者がいて、やっつけるという話ではなく、今の世の中が抱えている問題がどんどんあぶりだされてくるよう。20年前の作品だけれど、まんま現代にあてはまる。菊之助はナウシカにしろ、FFXにしろ、こういうのが好きなのだな。
私はゲームは四半世紀前に子どもと一緒にちょっと「ドンキーコング」などをやっていた程度なので「困難を克服してゴールする」ってドンキーコング程度のことだと思っていた(笑)。だからその壮大な世界観にびっくり。
3000年にもわたる話で、自分のいる世界が実は幻のようなもので、自分も泡のようになくなってしまうかもしれないという哲学的な話だとは思わなかった。
独自の宗教に次第に染まって、考えることをしなくなる人達の話だなんて思わなかった。
人種問題?差別問題にまで言及しているなんて思わなかった。
親に劣等感を感じて、距離があったのに最後に近づけたと思ったら、一番倒さなければいけなかった敵だなんて思わなかった。そして、親の哀しみもまたよく表されていて。
20年前に親に反発していて、今親になって改めて観た人なんかもいるのだろうなあ。
菊之助がどれほど大きな壁と戦い続けてきたのか、そんな思いのこれっぽっちもわかっていなかったし。私。いや今だってわかっていないだろう。これっぽっちも。
「ひとつだけお願いがあります。いなくなってしまった人たちのこと 時々でいいから…思い出してください」という最後のユウナの言葉は、普遍的で心を打つ。東日本大震災などの大きな災害やコロナを思い出した人もいるだろうし、身近に亡くした人を思い出した人もいるだろうし、今現在戦争をしている国に思いをはせた人もいるだろう。世界中誰にとってもずんとくる言葉だ。ああそうか。だから名作なのね。
一生懸命ゲームを続けて、ラストがあんなだったら本当に1週間くらい呆然としてしまいそう。
それで20年後に、いきなり歌舞伎化されて出てきたらそりゃあ泣くわねえ。
冒頭の音楽から号泣とか。FFXを知らない私はそんなことなかったけれど、もし時間に余裕があって2度、3度と観られたら、簡単号泣スイッチはいったかも。
▲この方クリスさんは、高校生のころFFXを夢中になってやっていたそうです(写真許可済み)。今回フランスから参戦! という話をしていたら、隣で聞いていた女性が「私も高校の時やっていました!」と。青春!
あらためて思う歌舞伎役者の実力
いつも歌舞伎を観ていると当たり前なので気づかなかったりするけれど(いや気づくけれど)、あらためてこういう舞台で役者たちの演技っぷりを見ていると、不断の努力による下半身の強さ。微動だにしない、体幹ぶれない、足の先から手の指先まで一直線になる美しさなどにほれぼれする。そういう基礎があるからこそ、世界観がどうあろうとも対応できるのだなと思う。
そして声。歌舞伎役者の声のよさ遠くまでよくとおる発声、口跡などは知っていることだったけれど、驚いたのは女方さんたちの声。ルールー、ユウナ、ユウナレスカ。いつも歌舞伎で聴いている声と違って、でもやはり女性の声なのだ。
どーゆー発声にしているの?と疑問に思っていたのだけれど、先日、梅枝さんはその質問に対して「特に発声方法は変えていなくて、高くならないようにしています。あとはマイクなので息遣いが漏れないように気をつけた」ってだけサラっと言っていた。そんな単純なこと?とビックリしてしまった。なにか特別な技術があるのかと思った。喉の奥に弁をつけましたとか。歌舞伎役者は七色の声を出せるのだなあ。ユウナレスカの芝のぶもすごかったからな。ナウシカの時を思い出しましたよ。本当に名優。
ティーダ菊之助、ユウナ米吉、シーモア松也、ひとりずつ書いているとキリがないのでもう書かないけれど、みなよかった。
劇場を活かした演出
360度全部舞台という特殊性、観客席が動くって、知識ではわかっていたけれどいまいちピンと来ていなかったが、たしかにこれはおもしろい。その作品の世界に丸ごと一緒にはいっているような感覚。特にすごかったのは、航空艇に乗って、ザナルカンドへ飛んでいくシーン。窓は座席横のスクリーンに映し出され、窓の外の風景はビュンビュンと後ろへ飛び去り、目の前にはシンが現れ、座席はわずかながらガタガタと揺れ、まるでいっしょに飛行艇に乗っているかのようだった。
廃墟を越え、砂漠を通り、歩みを止めずに冒険を続ける仲間たち。座席が動くから歩みを止めない役者たちに並走したり、上から俯瞰するような気持ちで見守ることができる。歌舞伎でも背後の景色を動かしたりして移動をあらわすことはあるけれど(好きです)。
祈り子、丑之助の名演に涙
ティーダやユウナの再現度の高さに号泣していたFFX勢をしり目に、歌舞伎勢が号泣するのは丑之助の名演技だ。祈り子は半死半生の存在で、難しい役だし、セリフも多く、芝居の中でもキーになる役、セリフの間が完璧で、その悲しさやゆらめきや存在のはかなさに、歌舞伎勢の多くは涙したのではなかろうか?
再現度の高さについては、FFX歌舞伎を観た後で家に帰ってFFXのゲームのダイジェストなどを見て、
「うわー!ティーダやユウナの再現度ヤバイ!あのプルプルと首を振るユウナ!あと景色とかさ」などと今更ながら驚いたのだった。
超歌舞伎などで培った経験が役立ったね。獅童さん
超歌舞伎で、観客をあおったりしながら一緒になって盛り上がることをずっとやってきた獅童はやっぱりうまいと思った。芝居もうまいが、芝居後のカーテンコールでの盛り上げ方などがナチュラルでうまい。新しい時代の歌舞伎を一番知っていて、求めていて、率先して走っている役者だもの。
千穐楽では、アーロンとティーダの会話のところで感極まって泣いていたらしいじゃないか。くっ、行きたかったな。
新作歌舞伎と銘打った意味
新作歌舞伎というのは戦後作られた歌舞伎というジャンルのこと。
超歌舞伎とかスーパー歌舞伎もその新作歌舞伎というジャンルの中に含まれるのだけれど、今回「超」とか「スーパー」とか「ネクスト」とかつかないで、冠に呈しているのは「新作歌舞伎」というワードのみ。
「NARUTO」も「ナウシカ」もシンプルに「新作歌舞伎」って入っているだけだったから、ただの妄想かもしれないけれど、私はここに、「新作歌舞伎の中に燦然と輝く金字塔~そして古典」にするぞみたいな、作り手の(というか菊之助の)矜持を見た気がする。妄想かもしれないけれど、勝手に私はそう思うことにする。
こうやって新作を出すのはとても「思いと勇気と努力と団結」のいることだと思う。そして、こうやってできることで、原作ファンを歌舞伎に呼び寄せる、歌舞伎ファンには知らなかった世界や歌舞伎役者の新たな側面を見せてくれることにつながる。とても意義のあることだと思う。こうやって歌舞伎は、どんどんと新しいものを取り入れて進化してきたのだし。
観劇からちょっと日にちが立ってしまったので、ただでさえうすらぼんやりなのに、ますますうすらぼんやりな感想になってしまった。幸い、配信があるのでそれを見てから書こうと思ったのだがそう思っているとまたどんどん先送りになってしまうので、とりあえずアップすることにする。
書けていない部分が多いけれど。
行った日に書いた感想以外のレポはこちら
さて、配信は、10月まで。視聴期間は購入から10日。
時間のある時にもう一度みてみたい。
こちらから。