今月は国立劇場の観劇パスポートを購入したので、歌舞伎を中心にいろいろと観ることができて楽しい。
能楽堂は14日と17日の定例公演へ。
14日は残念ながら撃沈してしまったが、17日はバリバリ楽しめたのでご紹介。
能は今まで何度か観たが大概撃沈。ただ能楽堂の雰囲気は清らかでとても好き。あそこは現世と違う空気が流れているのではなかろうか?
さて、17日の定例公演の演目は狂言・和泉流「孫婿」と能・宝生流「盛久」
孫婿
あらすじは、お婿さんがはじめて家に挨拶に来ると言うので舅は待っている。ところがこの家には舅の父(おおじ)がいて、何かと口を出してくるのが面倒。なんとかうるさい爺さんがいないうちに、挨拶を済ませようとするのだが、じいさんもどこからか聞きつけてやってきて口を出す。
すでにヨボヨボなのに、矍鑠とした一家の長であると思っているのだろう祖父。苦々しく思う舅。素直な婿の3人の取り合わせがおかしく、まったく現代と変わらない人間模様に驚く。
楽しく笑って幕間20分。
盛久
あらすじ
平盛久は、源氏の土屋某に捕らえられて頼朝の命により明日処刑ということに。最後の晩に観音経を読誦する。翌日正に処刑の瞬間、盛久の持っていたお経が光を放ち、太刀取りの目がくらみ首を斬ろうとした刀を取り落としてしまう。見れば刀は真っ二つに。これも観音経の功徳と感じ入る。前の日、盛久は夢をみていた。老僧が出てきて盛久の日頃の信心により、その身を助けようというものだった。
ところが頼朝も同じ夢を見ていたという。かくて盛久は罪を許され、喜びの舞を舞って立ち去っていく。
能は比較的ストーリーが簡単で、歌舞伎のように「実は~」「実は~」がないので、すじだけ押さえておけば、シンプルでわかりやすい。パンフレット(700円)にも一部は詞章がついているし、字幕も全席についている(全ての公演に字幕がついているわけではない)。
声は大きくはっきりとしていてわかりやすい。シテの辰巳満次郎さんは朗々としたお声がとてもよかった。
歌舞伎脳の私は、あらすじを見た時点で、お経が光を放ち刀が真っ二つになってしまうところをどういう風に表現するのかというところに興味を持っていた。歌舞伎であればピカ―!ドンガラガッシャンと派手な演出になりそうだ。
ところが、能では、
太刀取り後ろに廻りつつ、称念の声の下よりも、太刀振りあぐればこはいかに、お経の光眼にふさがり、取り落としたる太刀を見れば、ふたつに折れて段々となる、こはそもいかなることやらん
との朗々たるワキツレの声とともに、
盛久の後ろに回った太刀取りがポイっと盛久の前に刀を投げるだけだった。ああ、お経が光を放ち、太刀取りが取り落とし、刀がふたつに折れたのだと客はイメージできる。
なるほど能はシンプルだ。シンプルというのは全部イメージをこちらに任せてくれるということだと感じ入る。
同じ夢を見たといって盛久を許してくれる頼朝も出てこない。けれども頼朝に向かって盛久は語る最後の場面で、頼朝はまさに私たち観客。であると同時に、何百年もの間、こうして演じられてきたということは、昔の大名、殿様も今日の私のように頼朝気分になって盛久の言葉を聞いたことだろう。なんとまあ悠久の時の流れを感じることか。
というわけで、とても楽しめたし、わからなかった芸能の面白さを垣間見ることができてうれしかった。大概寝てしまうけれど、それは、笛や太鼓の音が余りにも気持ちが良いから。
現世もつまらんことが多いから、能楽堂で夢うつつになるのもそれはそれでいいじゃないかと.能をよく見る友人にも言われた。それもそうだなと思っていたら、今度は寝ないで楽しめて、よかった。
能初心者の楽しみ方
寝ても気にしない。
体調を整えて。
あらすじは把握しておく。
ですかね。