「初めての歌舞伎を楽しもう」munakatayoko’s blog

すばらしき日本の芸能、歌舞伎。初心者にわかりやすく説明します♪

祇王寺~源平合戦を辿る旅 その7

神戸から京都へ。
源平合戦を辿る旅もこれでおわりかな。

祇王寺です。源平合戦というより、祇王の物語は平家物語ですね。

初めて来た祇王寺は素晴らしくよくて感動しました。

それはいうまでもなく、平家物語を読んで祇王の話を掘り下げていたからこそです。

祇王は、清盛に愛されていた白拍子でした。
ところがある日、仏御前という白拍子が現れて、舞を舞いたいと申し出るのです。清盛は断ろうとしたのですが、祇王は「すげなくして帰すのはふびんなこと、せめて会うだけでも」ととりなし、対面をしたのです。
するとすっかり仏御前が気に入ってしまった清盛。あろうことか、祇王(とその妹)を追い出し、仏御前を迎え入れてしまうのです。その後、清盛は使いをよこし、何かと思えば、仏御前がとても寂しそうなので、舞を舞うようになどとあまりの仰せ。しかも泣く泣く行けば、以前召されていた部屋ではなく、はるかに下の席。恥辱以外の何物でもない。
そして仏御前の前で舞え、歌えとは…。
あまりの仕打ちに、死ぬことを決意した祇王でしたが、母刀自、妹祇女に止められ、ついに3人で出家するのです。こうしてなんとか平穏に3人で暮らしていたのですが、

「かくて春すぎ、夏たけぬ。秋の初風吹きぬれば、星合の空をながめつつ、天のとわたる梶の葉に思うこと書くころなれや。」

名文。ちょっとむずかしいと思う人は、ぜひ声に出してぜひ読んでみてくださいませ。すーっと頭に入りますよ。

さあそんなある夜のこと、その庵に訪れてきた人があり、それはなんと仏御前でした。

仏御前は、「祇王の身の上は、今にわが身の上となるでしょう。つくづく身につまされることでした」と語ります。清盛の元を去り、祇王の元へと来たのでした、

その後、4人は朝に夕に花を供え、静かに生き、みなそれぞれ往生をしたということです。


よくよく調べると、祇王寺は明治初年に廃寺になり、墓と仏像は大覚寺によって保管されたとのこと。今の建物は、再建話が持ち上がった時に、元京都府知事の北垣国道氏が明治28年に嵯峨にあった別荘を寄付し、それが今の祇王寺の建物だそう。

ということは、この建物は祇王とは何の関係もない府知事の別荘なのか…とは思ったものの…。

平家物語の中の祇王の話と、目の前の祇王寺の世界観というか、景色というか、あまりにもぴったりすぎて、感動してしまいました。

それほど広くない庭一面の苔


紅葉

そして小さな庵(府知事の別荘!)の風情

向こうに見えるのは吉野窓という丸い窓、そこに映る紅葉と緑。

吉野窓と言われる丸窓からは光の加減で美しい色彩が。

美しかった。

すぐには立ち去りがたく、庵の前のベンチに座り、平家物語の原文「祇王」を音読しました。平家物語ゆかりの地で原文を音読する。マニアック~!ですがとてもおすすめです!

人が来ると小声でボソボソと。

寒かった。

祇王寺で気に喰わないのは、清盛の像があること。これはいらんのではなかろうか。

「仏御前と祇王が仲良く暮らしたなんてありえない」という人もいるのですが、私は、そうは思わない。
ただし、清盛の像はいらないでしょう。

祇王、妓女、母刀自の木像が飾られている木をくりぬいたようなところのちょうど視界から見えないような角度で清盛が鎮座しています。あなたはそこにいるべきではない。

しかもお墓まで。それはいらないでしょ。→しつこい。

いちいち癇に障る清盛なのでした。

それでも、とにかくこの祇王寺の静かなたたずまい、忘れ難い思い出となりました。

次は琴きく茶屋。もう源平合戦とは関係ないけれど。
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