「初めての歌舞伎を楽しもう」munakatayoko’s blog

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生田神社~源平合戦の足跡を辿る その1

突然ですが、西に行ってきました。


京都南座に行く前に、平家物語にゆかりのある場所を訪ねたいと思い、まずは新幹線で品川から新大阪。新大阪から乗り換え三ノ宮へ。駅から徒歩5分のところにある生田神社に行ってきました。


例えば平安神宮とか、そういった大きくてパワフルな神社ではなく、地元の人たちに生田さんと親しまれているような神社です。

周りはこちゃこちゃとたくさんの店やら飲み屋がひしめいており、雑多というかどちらかというとパワフルなのはこちら民衆のエネルギーの方かと思ったのですが。


ところがどっこい、生田神社にはとてつもない歴史が残っています。

生田神社の歴史

まずは歴史が古い。

生田神社の由緒

西暦201年に三韓外征のときに、今の神戸港で船が動かなくなり、占ったところ稚日女尊が現れて「ここ活田長狭国に居りたい」と告げたので、海上五十狭茅を神主としてまつったとのこと。西暦201年!?卑弥呼魏志倭王の称号を受けたのが239年よ?

その後、西暦799年に洪水が起こったため、刀自七太夫がご神体を背負って鎮座する場所を探して1週間歩き回っていたが、生田の森についたときに、急にご神体が重くなり動けなくなってしまい、この地にご神体を安置したそう。794年が平安京遷都ですからそのころの話ですね。

すごいですねえ。
このほか、かまぼこの起源がここ生田神社だそうです。皇后が三韓遠征の時にすりつぶした魚の肉を矛の先に付けて焼いたのを食べたのがかまぼこの始まりと言う伝説があるそうです。

かまぼこの発祥地であることを知らせる石碑。生田の森の中にあります

源平合戦

ときは進んで源平合戦。1184年、都落ちした平家が若干勢いを盛り返して、十万余騎もの大軍を配置したのが、ここ生田の森と一ノ谷の間。

ここを攻めたのが、大手勢源範頼五万の兵です。義経は搦め手で丹波路を通って鵯越へ向かっています。
五万の兵を相手に先陣の名乗りを上げたのは、たったふたりで切りこんだ武蔵の国住人の河原太郎高直・次郎盛直の兄弟です。
「大名なら家人の手柄でおのれの名誉にできるけれど、自分たちのような小領主の武士は自ら手を下さなければ名誉を得られない」と、無謀にも二人で切りこんだのです。そして最期をとげます。

当時の武士たちにとっては先陣かどうかで今後の所領が変わるので、先陣争いはとても重要なことだったんですね。

熊谷直実も搦め手軍にいましたが、一ノ谷の先陣を平山李重と争いもめています。(一二之懸)

余談ですが、うちの子どもが幼稚園生のとき、お帰りの時にクラスごとの旗のもとに一列に並ぶという慣習でした。一番の子から順番にお迎えに来たママの元に走っていけました。

お部屋からばーっと走ってきてそこの旗を一番に握ることに男の子たちは命を懸けていたんです(笑)。それで、一番になれないと2番の子って、泣いて悔しがっていたんです。「なにもそこまでこだわらなくても…。」とか「先陣争いに負けちゃったね」とかママたちは笑ってみていたのですが、男の子って昔の武士のDNAが残っているんでしょうか??

当時は「それほどママに早く会いたいのかな」なんてほほえましく思っていましたが、なんだか平家物語をよんでいると、「もしや武士のDNA?」と思ってしまいます。

女の子でそこまでこだわっている子はいなかったように思います。こだわらずにニコニコ後ろに並んでいる男の子はいたような気がします。1番になれないと悔しがっていたのは、元武士?それ毎日やっていましたよ。。。
先陣争いなんて言葉、今は使わないかもなあ。

このほか、梶原源太景季が、この合戦のときに水を飲んだ井戸

梶原の井

弁慶が義経の代理で平家打倒、源氏繁栄を祈って奉納した竹などがあります。

弁慶の竹

他にもいろいろ史跡がありました。

復興のシンボル

もう一つの生田神社を知る上でのポイントは、復興のシンボルということ。

安政の大地震(1854、1855という説も)
昭和13年の神戸大水害。(1938)
昭和20年6月5日の神戸大空襲。(1945)
平成7年阪神・淡路大震災(1995年)
もっとあるのでしょうね。その都度、壊滅的な打撃を受け、その都度よみがえってきたのです。

安政の大地震の時に倒れた鳥居の1部がありました。


500年の年輪を持つ楠の神木は昭和20 年6月5日の神戸大空襲で焼けましたが蘇りました。小さな葉っぱが出ていましたよ。
再生合格復活復興の象徴として信仰されるのもむべなるかなですね。

はでな御朱印もいただきました~。月限定らしいので、行くたびにいろいろと違う御朱印がもらえて楽しめそうです。

派手派手な御朱印

小さいながら、ぎゅっと歴史のつまった生田神社。堪能しました!

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