▲お鼻が光ってしまってごめんなさい!
10月になってしまいましたが、秀山祭レポ続きです。
ということで話題になった秀山祭の「寺子屋」
ちなみに幸四郎、松緑いずれも七代目松本幸四郎のひ孫なんですねえ。
七代目幸四郎はこちら!
まあ、七代目幸四郎の子どもは、十一代目團十郎、初代白鸚、二代目松緑なので、海老蔵もひ孫、今の歌舞伎界の多くが七代目幸四郎の系譜なんですね!
さて、寺子屋に話は戻します。
少しずつやり方の違いがあり、大変興味深く観ました。歌舞伎って、芝居の監督さんはいないので、家の型、さらに役者が役の性根を考えて解釈をして役に工夫をくわえて行くんですね。そこが面白い。
たとえば、松王丸と玄蕃が菅秀才の首を受け取りに来ます。百姓の子ども達の顔を一人ずつ見て、菅秀才ではないことを確認する場面では、派手にブホブホとせき込みますが、松緑と幸四郎では、せき込む箇所が違います。
「病中ながら拙者めが、検分の役つとむるも、他に菅秀才の顔を見知りしものなきゆえ、今日の役目し終すれば、病身の願い、お暇下さるべしと、ありがたき御意も趣き、おろそかには【ウーホっ、ごほごほ、どはー(松緑)】いたされず菅丞相の所縁者もを、この村に置くからは、百姓どものぐるになって、めいめいが倅にしたて、助けて帰る【ぶほー、ぶほーぶほー(幸四郎)】手もあること」
意味は
松王丸は、「病気ながら(仮病だけど)ほかに菅秀才の顔を知っている人はいないからきたけれど、今日の仕事が終わったら、病気だしもうお役御免にしてくださると時平どのがありがたくおっしゃって下さった。【松緑せき込み】
だから、いい加減にはできません。(しっかり検分しますよ)。菅丞相に縁のあるもの(菅秀才)をこの村に住まわせているということは、百姓たちがグルになってそれぞれの子どもにしたてて助けて帰る【幸四郎せき込み】という方法だってあるのだから」
です。
せき込む場所が違うとどんなふうに感じるでしょうか。
松王丸は時平の家来ですが、本当は菅丞相にも恩があり、父や兄弟も菅丞相側なので、なんとか協力したいという気持ちで自分の子どもを菅秀才の身替りに送り込んだのです。
なのに、時平への感謝の弁を申し立てているので、松緑(音羽屋)の咳込みには、自分に対する嫌悪感を感じます。
一方、幸四郎(高麗屋)の咳き込みでは、百姓の子どもに菅秀才を紛れ込ませて逃すという手もあるということをそれとなく言ってしまって、それを玄蕃に悟られないようにごまかした咳です。
ちなみに、初代吉右衛門は、父の三代目歌六から、ここが一番大事だと教わったそうです。
「松王丸は内心では、源蔵がここで寺子に見立てて菅秀才を逃せばいいのにと思いつつ観ています。その思いを一緒に検分している春藤玄蕃に悟られてはなりませんし、気づかれたら玄蕃を叩き斬ろうと思って油断せずにいる。身替りに寺入りさせた我が子が出てきてしまったら、どうしようという思いもあり、偽ではあるが病んでいることも表現しなければならず、難しい場面です」
「中村吉右衛門舞台に生きる」より
そんな思いで松王丸はいるんですね。
このほかにも、小太郎の首を斬る音が聞こえ、狼狽した松王丸と戸浪がぶつかり、松王丸が「無礼ものっ!」と一喝するところも、幸四郎は口をきっと結んで口に右手をそえる感じですが、松緑は、かっと口をあけ、真っ赤な口の中があらわになり、より激しい感情が見えるようでした。今まさに子どもが討たれた。けれども気取られまいと抑え込む気持ちと激情とが交錯します。
松王丸たちが帰っていき、伏している源蔵が、とん、とんと戸浪に合図をするところでは、松緑は、小さくトン、トン、トンと指で畳をたたき、戸浪に合図。幸四郎は、トンのあと、パンと大きく畳を叩く。
松王丸にバレなかったと神棚にお礼をするところでも、座って祈る幸四郎、立って祈る松緑(だったかな)やり方が違いました。
いろは送りのところでは、焼香の準備を戸浪がします。松緑はいっしょに手伝いますが幸四郎は手伝わないというのも面白い。そのほか、少しずついろいろと違う手があり、何回も観ることで、違うメッセージを読み取ることができました。
全くこちらもウカウカとは見ていられません。楽しませていただきました。こういう試みはこれからも大いにやっていただきたいものです。
もちろん、こんな間違い探しみたいに隅っこをつつきながら観なくてもおおらかに芝居を楽しめばそれもよし。
しかしそれにしても、一難去ってまた一難。心臓がキューっとしっぱなしの「寺子屋」。しんどいけれどもあらためて名作だなあと感じさせられました。
あらすじ、見どころはこちら
寺子屋~菅原伝授手習鑑 9月は歌舞伎座秀山祭へ! - 「初めての歌舞伎を楽しもう」munakatayoko’s blog (hatenablog.com)
松王丸の衣裳についてはこちら!