本日は、「尾上菊之丞の会」に行ってきた。いろいろな意味でとても良かったのでご紹介します。
猩々
猩々は伝説の妖精。その中のエピソードの一つが日本に伝わって、能「猩々」ができました。
どれだけ酒を飲んでも顔色も変わらない妖精、猩々と高風の物語。
高風 尾上墨雪
猩々 尾上松也
猩々 尾上菊之丞
振り付けはおじい様、そしてお父様(墨雪)が創作した「猩々意想曲」を挿入し、菊之丞さんの演出で「猩々が二人」という作品として上演。まさに三代の結晶ともいうべき作品となりました。
墨雪さん(菊之丞さんのお父さん)のしっかりとした動き。ピシリと微動だにしない首、背中、腰、足、手。美しかった。御年79歳!素晴らしい。
久々の松也!やはりいいですね!お師匠さんの間で頑張っていました。
鏡の松
神様 茂山逸平
俳優 尾上菊之丞
歌舞伎でも松羽目ものってありますが、もとは能舞台からきています。能舞台の正面にある松、実は舞台正面の先、(つまり客席の後方)にある「影向の松(ようごうのまつ)」が鏡のように舞台側にうつったものです。「影向の松」とは春日大社の参道にあって、昔春日大明神がこの松に降り立ったと言われています。そこで今でも、春日若宮おん祭の前には、この「影向の松」の下で「松の下式」が行われ、芸能を披露されるそうです。
神様が乗り移った松が、鏡のように映っているのが観客から見える松なのです。
今回の「鏡の松」のストーリーは、俳優(わざおぎ)が舞台に来て、神様に出会うというもの。おもしろかったです。だって、俳優は満員電車に揺られてくるし、神様は、ぼやーんと寝転んでいるじいさんで、自分が誰かもわからないんだから(笑)。
じいさんの真っ白なひげを見て俳優は、はてこやつは浦島太郎か、水戸黄門か、はたまたサンタクロースかなんていろいろと想像します(振りも音楽も水戸黄門やサンタクロースに合わせていて楽しい)
そのどれでもないらしい。背中に「神」って紙がはりつけてあって神様だとわかります。
そして、ずっと舞台にいられると困るからどいてほしいといっても脱力神様はどいてくれない。ここは鏡のこちら側だから、本来神様は向こう側にいないとね、と正面へといざなっていきます。
両花道をいっぱいに使って、あちら側(つまり客席の後方)の世界に行ったり、忘れ物をして戻ってきたり。時空を駆け抜けるがごとき演出も面白いものでした。
最後に神という字がさかさまになっていたのは、やはり鏡の世界だってことかな。ちょっと「アリスの不思議な国」の味わいもありました。
「影向の松」のこと。「松の下式」のこと。今でも舞台で観られる「鏡の松」のこと。神様と芸能のつながり。それらが難しくなく、すんなりと腹落ちして楽しかったのです。
ちなみに水戸黄門のところで、菊之丞さんが由美かおるのまねで入浴シーンをやったところが爆笑でした。
きっとあの愉快な神様、これからもどの舞台であっても見守ってくれるんだろうな。たのみますぞ。
蝶の道行
小槙 尾上菊之助
佐国 尾上菊之丞
家同士の確執で結ばれずに死んだ佐国と小槙というカップルがいつも二人が逢瀬を重ねていた花園で蝶になって生まれ変わり、美しく舞っていますが、次第に修羅に責められて最後は死んでいきます。ちょっと鷺娘っぽいですが、蝶の道行の場合は、二人はいっしょなので少しは報われるのでしょうか。
蝶の道行の振り付けは菊之丞のおじい様だそう。古臭さが全くないので、てっきり菊之丞さんの振付かと思いました。
さてすっぽんから出てきた二人を見て、おおおという声が。
すべて素踊りかと思っていたのですが、こちらは菊之助、菊之丞お二人とも白塗りで拵え。本当に美しかったです。
そして文楽座から、浄瑠璃は織太夫、靖太夫、小住太夫。三味線は藤蔵、清馗、友之助、清公の面々!
今パンフレットを見て気づきましたが、後見にもそうそうたるメンバーがいたのだな。。
豪華なメンバーによる美しい一幕。引き抜きもきれいに決まりました。
八俣の大蛇
八俣の大蛇は、古事記でおなじみの作品ですが、松本隆が口語訳し、藤社貴生が作曲をして新しい作品となったもので、2012年度にレコード大賞企画賞を受賞しているそうです。
今回は、語りを尾上松也が担当し、菊之丞が振り付け、素踊りで。語りの松也も美声でとてもよかったですが、菊之丞、これで4演目目。大太鼓、胡弓まで出てきて迫力の邦楽オーケストラをバックにエネルギッシュに、老夫婦から、スサノオノミコト、おろちまでダイナミックに演じていました。すごくない?
踊る菊之丞、しゃべる菊之丞、塗った菊之丞、魅せる菊之丞(って言ったのは逸平さん笑)
すごいですね。すべてやりのけたのですから。
すべて堪能いたしました。
最後に
菊之丞さん個人の演技がすごいこともありましたが、縦のつながりと横のつながりもすごいなと感じました。
すなわち初代菊之丞、墨雪とつながる縦のつながり(日本の古典芸能という意味で言えばもっと前からもあるのでしょうけれど)と、文楽座、一中、歌舞伎、現代劇、狂言、能のそれぞれの知見とスペシャリストとの横のつながりとで、新しい世界を作ってしまって、古典芸能なんてちんぷんかんぷんという現代人にも感動を与えてしまうようなことができるんだなというところに、感動しました。
逸青会には、今まで行ったことがなかったのですが今度観てみたいなと思いました。
一番端っこの一番前だったので十分に見えたとは言いづらいのですが、
たのしかった~。
こんな席でして。。