「初めての歌舞伎を楽しもう」munakatayoko’s blog

すばらしき日本の芸能、歌舞伎。初心者にわかりやすく説明します♪

菊之助の「鷺娘」が最高だった件~博多座にて

博多座昼の部。二つ目は、菊之助の鷺娘。

最初の出は舞台全体が雪げしきの中、ぼーっと出てくる白無垢の菊之助。舞台も白、衣裳も白。襟と裾から出ている赤、そしてぽっちりと口にひいた紅にはっとさせられる。

 

菊之助で「鷺娘」を観たのは、2019年すみだトリフォニーホールと今回博多座での2回の計3回。特に今回博多座6月22日に観たものは一番素晴らしかった。1回目は1階、2回目は幕見で観たのだけれど、2回目の方がよかったので、席は関係ないようだ。

 

月並みな言い方しかできないが、美しい。かわいい。可憐。切ない。壮絶。苦悶。死。どの場面の菊之助も美しく、しなやかだった。

 

菊之助が素晴らしかった一方で、菊之助が「尾上菊之助歌舞伎舞踊入門」で、「変化にとんだ踊りを楽しんでもらうためには、プレイヤーだけでは作れない」と語っていたそのことを、まさに目の当たりにしたような気もした。

 

気合!引き抜き!照明!がこの一瞬だけという絶妙のタイミング、すこしもズレずにピタリと決まったときの鮮やかさ。それがピシリピシリと決まった。

「バッチリでしたね!」「ありがとう!」。終演後、そんなやり取りがあったのだろうか。それとも淡々と明日の千穐楽の準備に向かったのだろうか。そんな妄想をしてしまうくらい、全てのピースが合ったような気がするこの日の公演だった。

 

〽 濡れてしずくと消ゆるもの

で引き抜きからの鮮やかな町娘、それまでの白無垢の鷺から鮮やかにかわいい町娘に一瞬で変身。

 

さらに、紫の衣裳になっての

〽須磨の浦部で汐汲むよりも、君の心は汲みにくい

さりとは、実に誠と思わんせ

〽繻子の袴の襞とるよりも、主の心が取りにくい

さりとは、実に誠と思わんせ

 

の憎い色っぽさ。(詞章もすてきだ)

 

払うも惜しき袖笠や

 

ちょっとリズムがゆっくりに変わり、

〽恋に心もうつろいし、

 

で、桃色の衣裳にパッと替わると、またまた華やかに。

〽てんてんてん日照傘~

 

吉野山にお花見でもいった思い出なのだろうか。

 

その後、あやしい雰囲気になり

〽添うも添われず あまつさえ 

 

で真っ赤な衣裳に替わって、次の瞬間には真っ白の鷺の羽の衣裳になる。

 

そして地獄の責め苦にあい、死んでいく。

 

肩にはざっくりとした赤い血がついているのも哀れで、髪も乱れて傷ついた鷺が苦しみもがき、パタパタと羽ばたき、身をよじり、空をつかみ、倒れては起き上がり、最後についに息絶える。

 

以前玉三郎は、鷺娘について「罪を犯したから地獄で責められるのではなく、この世に存在したこと自体が罪なのかもしれない。そこまで落とし込まないと、この娘がどういう娘でどういう恋に落ちて、なんで責められるかの幅が狭くなってしまう」と言っていた。

 

もう、この世に存在したこと自体が罪なのか…。この世に存在したこと自体が罪ならば、鷺娘の罪は、確かに私の罪でもあり、だれかの罪でもあるのだなあ。

 

鷺娘は、もともと1762年に舞踊として初演されたあと、長く演じられていなかったそう。それを復活させて、演出も新しくしたのが、9世市川團十郎。その後大正時代に、アンナ・パブロワのバレエ「瀕死の白鳥」を見た6代目菊五郎が、たいそう感銘を受けて、最後のふりを現状のように変えた。以下で読めます。

 

(『日本諸学講演集』第十三輯芸術学篇 「芸談 六代目尾上菊五郎」文部省教学局編纂 昭和十九年三月:昭和十八年

 〔一九四三年〕 六月十日の一ツ橋共立講堂での講演の速記 の一部)

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音羽屋の大切な踊りとも言える「鷺娘」。終わった後、会場いっぱいにジワが広がった。

 

そして私は、音羽屋ファンのフォロワーさんとロビーで「すっごいよかったですね!」「はい。もうものすごくよかったですね!」「本当にすばらしかったですね!」と語彙力不足を嘆きつつ心の中でハグをし、フォロワーさんと別れてぼーっと外に出て、地下鉄の乗り場を間違えたのだった。帰りの飛行機をギリギリの時間にしなくて、本当によかった。

 

今まで、最高の「鷺娘」は歌舞伎座さよなら公演の玉三郎の「鷺娘」で、それは印象も強烈だったから、わすれられない素晴らしい舞台だったけれど、今回の菊之助の舞台も素晴らしかった。

作品自体の素晴らしさも再認識したし、初演、九代目團十郎、六代目菊五郎という系譜にも感謝するし、菊之助さん、後見さん、照明さん、みなさんのチーム力で、感動することができた。ありがとうございます。