「初めての歌舞伎を楽しもう」munakatayoko’s blog

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劇評と芸談という視点で迫る「熊谷陣屋」~「作者と劇評家のコトバで読み解く歌舞伎のセカイ」

2月27日(日)国立劇場伝統芸能情報館のレクチャールームにて、「作者と劇評家のコトバで読み解く歌舞伎のセカイ」第2回 が開催されました。

 

 

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▲準備中♪

今回は、「劇評家編」。劇評と芸談という視点で迫る「熊谷陣屋」~一谷嫩軍記より

 

登壇は、木ノ下裕一さんと田中綾乃さん。劇評家である田中さんが今回の語り手です。

資料も豊富に用意していただきました。

合いの手をちょいちょい挟むのが木ノ下さん。

 

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團十郎型と芝翫型の違いを見る

 

熊谷陣屋って時代物の中でも上演数が多い人気作品です。これを過去の劇評家たちはどう評してきたのか、役者はどう演じてきたのか。そもそも劇評ってなんだということを紐解く、とてもマニアックな回となりました。

 

まずは、劇評とは何だろうか。劇評の歴史。そして熊谷陣屋の團十郎型と芝翫型の型の違いについて、映像で見比べてみます。

 

「型というのは、過去の俳優がこの通りやれば、及第点は行くよという過去の俳優から未来の俳優へのメッセージです」と木ノ下さん。

 

團十郎型と芝翫型ではどんな違いがあるのでしょうか。型の違いを見やすくするには、3つの「しょう」ということがあるそう。

 

その1 師匠

この俳優の父親はだれか、師匠はだれか、血脈、芸脈を探ります。

 

その2 衣裳

デザイン、顔、化粧の違いを見ます。

 

その3 詞章

型によってセリフが変わります。原作の詞章との違いを見ます。

 

我々がいきなりすべてを網羅しようとするのはなかなかむずかしいですが、まずは衣裳に注目するようにして映像を見ました。

 

こんな機会はなかなかありません。比べてみると、ああ、こんなに違ったのかと驚くほどでした。顔の色から、衣裳だけ見ても全く違い、足袋の色まで違います。台本ももちろん違います。

 

芝翫型がオーソドックス。團十郎型は当初不評だった!?

 

現在、良く上演されるのは團十郎型で、芝翫型は、昨年国立劇場芝翫が演じ、話題となりました。特に違うのは、有名な

「16年は、夢じゃ。夢じゃ」のところ。團十郎型では、ご存じのように最後、幕外で一人になってから述懐しますが、芝翫型では物語の途中、居並ぶ人々の中でサラリと「夢であったなあ」というセリフで出ます。

 

今では、團十郎型が一般的ですが、明治のころには芝翫型がもともとの型。新しい型として出てきた團十郎型は不評で「やめろ」という劇評が続出だったというから驚きます。

 

全く新しい型として出したのは九代目團十郎。とても信念と勇気のいることですね。

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▲皆さん、興味津々です。

 

古典の名作は変わらないけれど、古びない

 

「歌舞伎というと、古くからある古典で変わらず…という印象があるかもしれませんが、実は時代とともにあるから古びていくことはありません」と田中さん。

 

たとえば、芝翫型よりも、團十郎型が受け入れられたのは、第二次世界大戦を経験した人の心に團十郎型がより刺さったとも言われています。

 

子どもを亡くして、16年は夢じゃ夢じゃと慟哭する熊谷直実に多くの人は涙を絞りました。

 

劇評家たちは、また様々な意見を交わしました。戦争中、戦争批判をしていた武智鉄二は、「熊谷陣屋は国家の問題であり家制度の問題でもあるのに、熊谷の個人的な問題にフォーカスしてしまって生ぬるい。センチメンタルすぎる」と酷評を浴びせました。

 

また、大政翼賛会を賞賛してしまい、その反省から戦後暮らしの手帳を立ち上げた花森安治は、「熊谷陣屋には厭戦思想がある」と説きました。

 

また演者として2代目松緑は、熊谷を当たり役としましたが「自ら第二次世界大戦に従軍した経験があるのが、他の人(父)と違う点だろう」と芸談で述べていることなどが紹介されました。

 

確かに古典歌舞伎というものは変わらないものの、時代によって、また批評家のスタンスによっても、演者の精神によっても、ゆるやかに変わっていくものなのだということが、とてもよくわかりました。

 

慟哭の團十郎型「夢じゃ夢じゃ」に対し、「夢であったなあ」とサラリと語られる芝翫型は、木ノ下さんは好みだそうです。團十郎型が熊谷と息子の16年に限られてしまうのに反して、芝翫型ではその場にいる全員、義経しかり、藤の方しかり、各々の16年がまざまざと見えるからだそう。

「いつの間にか自分の人生が戦争に絡めとられていった話としてとてもリアル。今の時代には、芝翫型はあっているかもしれませんね」と木ノ下さんは語っていました。

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劇評とは

劇評というのは、ポジティブな面もネガティブな面も明らかにして、全体的にとらえること。その作品をより深く理解し、単なる好き嫌いの視点ではなく、その作品が社会や時代の中でどのような意味があるのかを批評的な視点で描くこと。

 

そして、生の舞台は消え去りますが、言葉によって記録することで、後世に残るのだという田中さんのお話、大変面白かったです。

 

批評の目をもつといいこと3つ

 

さて、劇評とは特別な人の特別な技術なのでしょうか?

 

私たち一般の観劇者も、批評の目を持つといいことがありますよと木ノ下さん。いいことを3つ教えてくれました。

 

(1)作品の見え方が深まる

私たちは、色々な作品をみて「よかったなー」とか「つまらなかったなー」と感想を感じますが、数年たつと「すごくよかったけれど、何がよかったかよく覚えていない」ということがありませんか?なぜ良いと思ったか、つまらないと思ったのか、一言でも書いておくと観劇の記憶が具体的に残ります。

 

(2)つまらない芝居をみたときに、損をした気分にならない

なぜ面白くなかったのか、考えることが思考の種になります。

 

(3)友達に歌舞伎の面白さを伝えるのに役立つ

「すごくおもしろかったんだよ~」と友達に言っても、それだけでは伝わりません。具体的に何がどうよかったかを伝えることは、友達を歌舞伎沼に落とす武器となります!

 

ということで、批評眼を養うことは、自分にとっても歌舞伎仲間を作る上でも役に立つ!というお話でした。

 

まだまだ書ききれないほどの充実した内容でした。2時間があっという間に過ぎ、皆さん楽しまれたのではないでしょうか。

 

次回は

次回は、劇作家木ノ下さんのターン。「並木宗輔」がテーマとなるそうです。楽しみです♪

4月17日(日)13:30~15:30

国立劇場伝統芸能情報館にて。

 

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▲お疲れ様でした〜♪