先週、親戚に会いに家族で長野に旅行に行って来た。コロナ前から行きたかったのだけれど行けず、コロナ禍になってからは、計画してはキャンセルをし、やっとやっと行けた。
2泊3日で善光寺→小布施→戸隠と駆け足の旅となった。
善光寺
1日目
初日が半袖でも暑いくらい。仲町にずらりと並ぶ出店の中で、ジェラートの店が気になりつつも食べずに過ぎる。コロナも少し落ち着いて歩行者天国でにぎわっていた。
善光寺とくればお蕎麦だ。親戚おすすめのお蕎麦屋さんで一休み。とてもおいしかった。善光寺に行くと蕎麦屋がたくさんあるのでどこに入ればよいか迷ってしまうけれど、今むら蕎麦、おいしかった。
信州善光寺 クイチそば 今むらそば本店 | 信州善光寺 クイチそば 今むらそば本店
善光寺はさすがの迫力で圧倒された。
山門
まずは山門に上がって「絶景かな。絶景かな」遠くの山々が美しい。
お戒檀めぐり
今の善光寺本堂は1707年(宝永4年)に再建されたもの。内陣の頭上で来迎二十五菩薩像を拝み、お戒檀めぐりへ!
ご本尊の安置されている下を通り、中ほどの極楽の錠前に触って戻ってくれば極楽に行けるというものなのだが、とにかく真っ暗!うすらぼんやり廊下の明かりだけが頼りであとは真っ暗で、ずり足ずり足。だんまりの口伝を思い出して、足先に目がある如く、ずり足で進む笑。
ところが私は、ただただ前へ前へと進むだけで、結局錠前に触らずに終わってしまった!なんということだ!まだまだ極楽に行けそうもない。長生きしてリベンジしなければ!
経蔵
経蔵という蔵では、何千ものお経が安置されている書庫があるのだけれど、これが駒のような形をしており、棒を8人で回すことで何トンもある書庫がゆったりと回る。1周すれば、すべてのお経を読んだのと同じ功徳を得られるということで、やれうれしや。功徳を得られたぞ。
山田温泉風景館
この日は山田温泉風景館でゆっくりとした。古い宿屋だったけれど、料理が抜群においしかった。露天風呂もグー。
小布施
2日目は、小布施。この日は一変して寒い日に。朝は雨だが次第に晴れ間が見えてきた。
信州の小京都と言われるだけあって、ちょっとこじゃれていて、街全体が素敵な雰囲気だ。親戚の家に行ってから、案内をしてもらって栗の小径、オープンガーデンなど見つつ散策も楽しい。
岩松院
北斎は、交流のあった高井鴻山に招かれて80歳過ぎてから小布施を4回訪れた。
アトリエや生活の場、顔料の調達など、高井鴻山の全面的な支援を受けて、制作に没頭。祭屋台天井絵・東町(龍・鳳凰)、上町(男浪・女浪)、岩松院の大間天井絵を描いた。
最後に書いたのが岩松院の大間天井絵で、その翌年江戸にもどって90歳で亡くなった。
塗り替えを一度も行っていないというその天井絵は、鮮やかで素晴らしい。絵の具などいいものをふんだんに使ったんだわね。
北斎さん、「思う存分描いていいよ。金はだすから」と言われて、どれだけうれしかっただろうな。
今はこういう「芸術に理解のあるお金持ち」っているのかしら。「欲深なお金持ち」「アート・演劇に理解のない権力者」しかいないのでは、アートも演劇も存続できない。アート・演劇にもっと理解を!
岩松院には、他に福島正則の遺骨が納められており、遺品も展示されている。
「酒は呑め、呑め~、呑むならば 日本一のこの槍を 飲みとるほどに吞むならば これぞ真の黒田武士」で有名な黒田節。そのエピソードの元になったのが、黒田長政の家来の母里友信が福島正則の元に行った話。どちらも酒豪で、母里友信は黒田長政に酒は飲まないように言われていたけれど、福島正則にガンガン酒をすすめられてしまう。
酒飲み対決で勝った母里友信に、福島正則は自慢の槍をやる羽目に。その槍は信長→秀吉ともらい受けた大切な槍だったけれども、約束は約束と母里友信はもらい受けた。
「いやあ、いくら何でもそんな大切な宝物を賭けで負けたからあげちゃうなんて」
「福島正則もよほど自信があったんだね」「でも心意気がいいじゃない」
「翌日酔いが醒めて青くなって返してくれって頼んだけれど、返してもらえなかったらしい」
笑。
そんな会話も楽しい。
このほか、小林一茶にまつわるものも。
この寺の池、(蛙合戦の池)の蛙を見ながら詠んだ一句がとても有名なのだ。
「やせ蛙まけるな一茶、これにあり」
これは自身の子どもが体が弱くて、やせっぽちだったので頑張れという気持ちをこめて詠んだ歌だそう。
そうだったのか。親心はいつの時代も変わらないのだなあ。
北斎館
さて、岩松院からほど近くに、北斎館がある。
東京には、すみだ北斎美術館があるがまだ行ったことがないので、比較はできないけれど、行って良かった。
北斎館では、祭屋台天井絵・東町(龍・鳳凰)、上町(男浪・女浪)のほか、絵はもちろん高井鴻山との手紙のやり取りなども見ることができる。現代語訳もあるので、「早く行きたいのはやまやまなのだけれど、仕事がたくさん来てしまって断りづらくて困っています」と言ったリアルなお手紙が楽しい。
しかし、それにしてもすごい。歩いて8日間で小布施まで行くということは、大体240キロくらいだから、1日30キロくらい歩き続けということ。
80歳すぎて…。
わらじで…。
娘もいっしょに…。
絵にもパワーがみなぎっているけれど、現代人には及びもつかないようなエネルギーが昔の人にはあるのだろうか。亡くなったのは1849年。あと20年で明治維新というときだ。
北斎館では時間がなくて、じっくり見られなかったので、また行ってみたい。
宿泊は、小布施ヴァンヴェール。フランスレストランの2階に4室のみ宿泊施設がある。フランス料理でとてもおいしかった。長野ではずっと和食だったから新鮮でうれしい。
朝は、クロワッサンがとてもおいしかった。
おやつは、この時期ならではのモンブランをテイクアウトして宿で食す。朝早くから大行列!親戚が予約をしておいてくれたのでスムーズに買うことができた。栗の甘みがたっぷり、でも甘すぎずとても美味。
戸隠
3日目
素晴らしい自然を満喫した。さすがパワースポット。5つの社をすべて回ろうとすると2時間半。ガイドブックによれば、奥社から下れば下りで楽ということだったので奥社からスタートしたけれど、奥社入り口から奥社までの最後の上り坂で早々とギブアップ。
奥社入り口の駐車場に車を停めて、奥社まで歩き、ぜいぜいはあはあ。Uターンして戻り、車で中社に行き、お蕎麦を食べた。これで十分クタクタ!北斎先生に叱られそうだ。
それでもうっそうとした杉林、茅葺屋根の隋神門など、2000年の歴史を感じるには十分。大いに楽しんだ。真っ赤な紅葉とまではいかなかったけれど、赤くなりはじめ。それもまたよきかな。
月は隈なきものをのみみるものかは。と清少納言殿も言っている。これからどれほど赤くなっていくのか想像するのも楽しいものだ。
戸隠神社
戸隠神社は、創建はなんと紀元前210年。B.C.ですよ。B.C.
戸隠の地名は、天照大神からきているとか。天照大神の神話はおなじみ。
天照大神が素戔嗚尊の乱暴を悲しんで岩戸にこもってしまい、世の中が真っ暗闇になってしまったので岩戸の外でお祭りを行った。気になって天照大神がそ~~っと岩戸を開いたところで、「今だ!」とばかり、手を差し入れて岩戸をぶ~んとぶん投げた。落ちた岩戸が戸隠山だというのだ。それは知らなかった~。
神話の時代に創建し、平安期には修験道の地として名をはせたというから、やはり何か空気からして違う雰囲気があった。
戸隠山と歌舞伎と言えば、12月に歌舞伎座でかかる「信濃路紅葉鬼揃」、紅葉狩り。
こちらは、平維盛が戸隠山に紅葉狩りに行って、鬼女に会うお話。これもまた楽しみだ。本当にうっそうとした戸隠山でお酒を飲んでついうとうとしたら、鬼女くらい出てきそう。
ところで奥社で家族がひいたおみくじが「平」という見慣れないものでなんじゃこりゃとなったが、なかなかすごいものだった。
内容は、吉と凶の間ということでおもしろくもないのだけれど、この「平」というおみくじを出しているのは全国でも8つの神社しかないということなのだ。
歌舞伎好きの皆さん!金毘羅宮でも「平」はあるそうですよ♪
全国で8万以上もあると言われている神社仏閣の中で8つの神社でしか出していないおみくじに当たるなんてそれだけでもすごいではないの?
もう宝くじ買うしかないかな。
さて、中社の周りにも大きな杉の木があり、圧倒されたが、そろそろお腹もすいたので、お蕎麦を食べて帰路についた。なんとか天気も持ってくれて、良い旅になった。
それにしても、足腰が元気でないと旅はできぬ。まだまだあちこちに行ってみて楽しみたいと思うから、健康に留意して日々過ごしたい。