「初めての歌舞伎を楽しもう」munakatayoko’s blog

すばらしき日本の芸能、歌舞伎。初心者にわかりやすく説明します♪

観劇感激レポ「不易流行 遅ればせながら、市川弘太郎の会」

みなさんは、誰かの夢がかなう瞬間に立ち会ったことはあるだろうか。

人生の中でもそうそうないこと。今はオリンピック真っ最中で、毎日夢がかなう瞬間やらするりと幸運が逃げてしまう瞬間などを、少々供給過多で見せられているけれど、そんな瞬間が訪れるのは何もスポーツの世界だけではない。

 

この夏、一つの夢がかなう瞬間を目撃した。それは市川弘太郎自主公演「不易流行 遅ればせながら、市川弘太郎の会」である。

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かっこいいわあ!

 

弘太郎さんの想いとか、今までの気持ちなどは、インタビューでこちらに。

 

munakatayoko.hatenablog.com

いよいよ、その夢の舞台が始まった。7月31日と8月1日の2公演だ。私は31日に行って来た。

 

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場所は池袋の東京建物Burillia HALL(豊島区立芸術文化劇場)。空間の広さを感じる気持ちの良い劇場だ。

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ゆとりがあって、居心地のよい劇場だった

 

上演前のアナウンスが何やらどこかで聞いたことのあるハリのあるいいお声…。あ!
松也だ!

 

今回弘太郎の背中をタックル級に強く押しながら、舞台には出られなくなった松也。でも何らかの形で参加しますよと弘太郎さんが言っていたそれが、これだった!まさかのアイデアに拍手!

 

皆様、わたくしの声、気づかれましたでしょうか。尾上松也でございます」のアナウンスに思わず会場からも笑いと拍手が…。

 

アナウンスでは、今回の公演では未就学児の入場も可としていること、それは弘太郎さん自身が初めて歌舞伎を観たのが2歳の時でそれがその後の人生を決めたからだったから。そんなことも告げられた。

 

最後に「こうちゃん、よくここまで頑張りました」という松也の言葉に、思わず温かい拍手が会場内に広がる。「ほんとだね」「コロナ禍でね」「よくがんばったね」みんなそんな気持ちで拍手をしていたと思う。

 

こうして温かく和やかな雰囲気の中、「市川弘太郎の会」は始まった。

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パンフレット。忠信の影は、き・つ・ね♪

 

美しさ絶品の七之助静御前を相手にきっちりと忠信をこなしていく弘太郎。女雛男雛も美しく決まり、場内拍手喝采となる。

 

四の切も吉野山同様、コロナ禍もあり、時間カット、人員カットなどせざるを得ない中で通常の澤瀉屋の演出からも変更された。冒頭の法眼と飛鳥の問答などもなく、通常は腰元が6人のところも2人、荒法師も澤瀉屋は6人で行う演出のところ3人となった。このほか細かい変更は多々あったと思う。

 

通常腰元は、1,2という名前のない役柄だが、今回は6人から2人体制になったことで役柄に撫子、千鳥という名前がついた。

 

ベテランの笑子と若手の三四助。特に出演の機会のなくなった若手に対して思う気持ちは弘太郎にとって強く、三四助に大きな機会が与えられた。三四助にとって、ベテラン笑子についてしっかり学べ、セリフ付きの千鳥という名前の役がついたことはとても意味のある公演になったのではないだろうか。

 

同じ一般家庭の出ということで共通の想いを持つ鶴松。彼にとって今回の公演は、いずれ自分自身も自主公演を行うための大きな発奮材料となったに違いない。

 

團子に関しては、弘太郎の想いは少し違っている。これからもしかしたら50年以上澤瀉屋の看板を背負って四の切を演じていくかもしれない團子。将来の澤瀉屋を担う人として期待をこめ、またよき仲間でありライバルである染五郎が昨年の11月に演じた義経を任せた。

弘太郎の初舞台は右團次の襲名披露の「勧進帳」での太刀持ちだった。義経は当時高校生の猿之助が演じていた。そんなめぐりあわせも若き團子には伝わっただろうか。品のある義経がまた一人誕生した。

 

四の切では、さすが幼少のころから弟を相手に練習を積んでいるだけあって、弘太郎は自由自在に生き生きと演じていた。2日目はさらに生き生きとしていたという情報もあった。

 

忠信は恰好よく落ち着き、決めるべきところを決め、狐は愛らしく飛び跳ねていた。いつまでも踊っていたい、時間よ止まってほしいと弘太郎自身、思っていたのではないだろうか。実際のところどうかはわからないが、そんな思いが客席にまで届くようだった。

 

「気」というものがあるならば、この日のホールには「愛」という気が満ち溢れていたと思う。弘太郎の歌舞伎への愛、七之助や松也の愛、友人たちの愛、弘太郎が若い人たちを想う愛、同輩を想う愛、観客への愛、そして観客の弘太郎への愛。

幕が下りても拍手はやまず、スタンディングオベーションの中、再度挨拶。

 

「自主公演やってよかったなと思っています。というのは周りの方が優しいんです。皆さんの愛を感じています」

とインタビュー時に語っていた弘太郎さん。イヤイヤそれはあなたの愛があるからでしょうよと思ったことだった。

 

弘太郎さん。大きく、大きく羽ばたいてください。この度は誠におめでとうございました。