渋谷のユーロスペースでおこなわれている“篠田正浩監督生誕90年祭「夜叉ヶ池」への道” 続けて心中天網島を観てきました。(1969年公開)
治平が吉右衛門。小春とおさんが岩下志麻となれば、行かずばなるまいて。
岩下志麻がおさんと小春の二役
眉をそり、鉄漿をした人妻であるおさんと、しどけない遊女小春の二役。ああ、どっちも岩下志麻にやらせたいと思ったのでしょうね、監督は。真逆の二役を岩下志麻が演じています。
おさんは、生活そのもの。小春は非日常そのもの。岩下志麻のすごみに震えます。
吉右衛門の濡れ場
濡れ場といっても、心中前に墓場で抱き合うシーンなのですが、なかなかエロいです。
岩下志麻の濡れ場は観たことはあっても、吉右衛門の濡れ場ってなかなかないのでは?この時25歳!若い!頑張っている!
いつも歌舞伎で吉右衛門を観ているから、親戚のおじさんの濡れ場を見ているような恥ずかしさで顔が赤らんでしまいました。それにしても若き日のキッチー。こんな映画を撮っていたんですね。どきどき。一途で考えが足りないぼんぼんの治平ではありますが、吉右衛門が演じるとやはりどこか憎めません。こたつにもぐって泣くようなやつなのに!
それにしても、吉右衛門さん。今一体どこでどうしておられるのか。退院をしたという話も聞かないのだけれど。どうか、どうかご無事で。
黒衣の存在の理由3つ
心中天網島は、文楽、歌舞伎で何度も何度も見ていますが、また違った演出で新鮮でした。
セットが現代風であったり、黒衣が出てくるとは聞いていたのですが、一人や二人ではなく、わらわら出てくるし、いわゆる黒衣的な仕事をするだけではなく、じーっと見ていたり、通行人に紛れていたり、余計なことをしたり、たくさん集まってきたりします。
いったいこれはなんだろうかと思っていましたが、3つあるかなと思いました。
黒衣は、監督自身
治平と小春の濡れ場をじーっと見ている黒衣には、ああ、これは監督自身なのかなと思いました。女優を妻に持つ監督というのは一体どういう視点で映画を撮るんでしょうね。また逆にどういう視点で私生活を送るんでしょう。一分の隙もなくなめるように見る。ほかの人が見ないところも見尽くす。一番美しい瞬間を見逃さない。そんなところでしょうか。私が書くとエロいですが、プロとしてクールに見ているんだろうなと思います(;^_^A
黒衣は、小春治平の心の葛藤
もう、離さない!一緒に死ぬ!と覚悟を決めて二人は走ります。その二人を複数の黒衣たちが見ています。
走り出した二人の心はどんなふうなのでしょう。「やめるなら今。今ならまだ間に合うかもしれない」とか「おさんはどう思うのだろう」「ちゃんと死ねるだろうか」「痛いだろうか」といったしり込みしたいような気持ちかもしれません。
もしかしたら、「今、やめようと相手が言ってくれないだろうか」なんて思っているかもしれません。
そんなことは愛する相手の前では絶対に言えませんが、黒衣にはお見通しです。心を見透かすような黒衣の乾いた視線です。
黒衣は、許さない社会の目
物陰からじっと見る、街角で潜んでいる、常にそばにいて、いないようでいる。いるようでいない。その存在は社会そのものです。
最後、治平が死ぬときに、黒衣たちは鳥居のようなところに帯をかけ、治平の自殺を手助けします。ヒモを首にかけ、踏み台を勢いよく蹴っ飛ばすのも黒衣です。この蹴っ飛ばしに、ものすごい意思を感じます。
「義理を欠いて、自分勝手に心中するお前たちを、社会は決して許さない。お前たちは、義理と社会から絶対に逃れられないのだ」という冷徹な宣戦布告です。そして二人は敗れ、橋の下に醜くさらされるのです。
衝撃的な映画「心中天網島」でした。