「初めての歌舞伎を楽しもう」munakatayoko’s blog

すばらしき日本の芸能、歌舞伎。初心者にわかりやすく説明します♪

真景累ヶ淵~豊志賀の死~哀しく現代にもつながるテーマ

落語が元だけあって、わかりやすいので予習も不要です。

 

真景累ヶ淵というのは噺家三遊亭円朝の口伝によるもので、深見新左衛門が宗悦を殺したことが発端となり、めぐるめぐる一族の中での20年以上にわたる因果の物語。

 

「豊志賀の死」はこの中の第3話です。宗悦の娘豊志賀と新左衛門の息子新吉がなんの因果か愛し合う関係にある。とはいえ、宗悦の娘と新左衛門の息子というのは、単独で「豊志賀の死」だけが上演される場合にはあまり関係がないので、忘れてもらってていいです。

 

しかし、哀しいお話だと思うんです。

豊志賀は、20も年下の新吉と深い仲だが顔にできものができ、どんどんひどくなりついに床についてしまう。新吉は誠意をもって看病をしているが、豊志賀は病が重くなるにつれ、顔もくずれ、心も荒んでいきます。

新吉が若い女お久といい仲なのではないかと疑り深くなっており、新吉を手元におき、あれこれと用をいいつけたり、少しでもいなくなると疑い、高圧的になり、弟子のお久に当たったりします。

新吉は、けなげに看病をしつつ、耐えきれず、何もかも投げ出してしまいたくなることもしばしば。

今日もわざわざ見舞いに来てくれたお久に、豊志賀がひどい言い方をするので心底心が折れてしまいます。

お久に詫びたり、愚痴を言ったり。

豊志賀が寝たのを幸い、新吉がお久に会っている間に、豊志賀はついに苦しみぬいて死んでしまいます。そうとは知らぬ新吉は、お久と寿司屋でつかの間の楽しい時間を過ごしているのだが、そこに豊志賀があらわれて…。

 

という一種の怪談話。(落語と歌舞伎では若干違います)

 

私は、豊志賀が哀れでならない。そりゃ、病になったところで新吉に「私はもうそう長くはないから、お前はもう好きなように生きるがいいよ。お久ちゃんなんてどう。いい子じゃないか」と言ってあげるのが正しい道なのかもしれません。事実、豊志賀にもそういう気持ちはあったのです。

でも、そんなに簡単には割り切れないのが人間というもの。年下の男との恋というのは自分の老いとの闘いでもあるのでしょう。そのうえ、病にまでなってしまい、いつ男の心が離れるのかと思えば、常にその心を試さずにはいられない。

 

新吉にしても、豊志賀は恩人でもあり愛すべき人でもあるのだから、一生懸命尽くそうとしている。だがそれにも限度がある。もう耐えきれない。そんな風に思っては自分を責める。

 

恋愛だけではなくて、介護に携わっている人、毒親に束縛されている人、こういう思いをしている人、たくさんいるのではないでしょうか。

 

だから役者さんにはお願い。

どうか、豊志賀の哀しみを表現してほしい。今回は七之助。たのんます。ことさら化け物を強調した演出はしないでほしい。

 

観客の皆さんにはお願い。

おばけ~~~って顔で出てきても、笑わないでほしい。豊志賀が醜い顔でしつこく新吉に新吉に言い寄っても醜いものをあざ笑うように笑わないでほしい。

 

 ぜひ聞いてほしいのは落語の真景累ヶ淵です。

桂歌丸さんの真景累ヶ淵は、YouTubeで聴くことができましたが、こちらの方がずっといい。(削除されました)

 

醜い化粧もないし、たくさんの役者が出てくるわけでもない。淡々とした語りだが、新吉と豊志賀のなれそめもわかるし、最後に次に続いてゆく流れもわかる。

豊志賀は恨みに恨んで、遺書を残し「新吉の妻を7人までとり殺す」と呪って死ぬ。そして、その通り、次から次へと殺される。

歌舞伎ではそこはないからなんだか、うわー、おばけー!で終わっちゃうのもいまいち。

8月の歌舞伎ではどうでしょうか。期待したい。

 

8月の観劇レポはこちら!

期待通りでした。

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