「初めての歌舞伎を楽しもう」munakatayoko’s blog

すばらしき日本の芸能、歌舞伎。初心者にわかりやすく説明します♪

歌舞伎脳で見る宝塚「ロミオとジュリエット」

5月12日に宝塚を観てきた。

 

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緊急事態宣言緩和、初日で大興奮

 

4月25日からの緊急事態宣言が延長となったものの、5月12日より演劇は緩和。宝塚、コクーン歌舞伎座など5月12日が一斉に初日となったその日である。

 

私は友人に声をかけてもらい行って来た。友人は娘さんとお母さまと行く予定だったが、さすがにこのご時世なのでお母さまはやめることに。その結果、チケットが余り、私にお声がかかった。

 

宝塚を見たのは、3年前かな?ファントム以来だ。やはりこの友人からの声掛けで行けた。

 

ファントムも面白かったが今回は、緊急事態宣言明けの初日ということで、観客もジェンヌさんたちも、一種異様な熱気があったように思う。

 

星組 ロミオとジュリエット

見たのは星組の「ロミオとジュリエット」。予習なし。予備知識なし。

 

ストーリーそのものよりも、今こうして舞台を観られること、熱く芝居をしてくれる人が目の前にいることなど一つひとつがありがたく(それは歌舞伎も同じなんだけれど)。

ロミオとジュリエットは悲劇だけれど、そのあとの舞台の最後のショーもパーッとしていて楽しく。それは、宝塚では「楽しい気持ちで家に帰ってほしい」というコンセプトで、どんな悲劇のあとでも、パーッと明るいショーで終わることになっているそうである。

 

今回はまた一段とスカッとし、トップスターの礼真琴の最後の挨拶もよく、すっかり胸が熱くなってしまった。このご挨拶というのは、いつでもあるのだろうか、今回だけだったのだろうか。ファントムの時はどうだったか、よく覚えていない。

 

ロミオとジュリエット」のストーリーそのものは、仲の悪い家の子ども同士が愛し合い、結ばれずに死ぬというところで、さすがにそこには共感はしないのだけれど。

 

しかし、ジュリエットが死んだと思ったロミオは、後を追い死に、それを知ったジュリエットも死ぬという壮大なうっかり勘違い悲劇。

折しも歌舞伎座2部でも、うっかり勘違いで勘平が切腹をしてしまうが。

 

全く死ぬ前にはよくよく確かめてほしいものである。勘平もロミジュリも。

 

でもこれ、小学校高学年から中学生くらいの夢見る乙女が見たら、その世界にどっぷり浸ってしまうだろうなあと思った。と思って、よくよく考えたら、私がはじめて「ロミオとジュリエット」を映画で見たのは、まさに中2だった。

 

思春期は、オリビア・ハッセーのジュリエット

 1968年に公開された映画「ロミオとジュリエット」、ジュリエット役はオリビア・ハッセーで、ちょっと東洋的な顔だちもあって、日本でも爆発的にヒットした。昔は公開してから何年か経つと、古びた映画館で安く見ることができて、300円で映画を見ることができたのだ。

 

そこでみた「ロミオとジュリエット」感激したなあ。その後しばらく「ウエストサイドストーリー」や「ジーザス・クライスト・スーパースター」「追憶」など、多感な時期によく見たものだ。

歌舞伎はずっしり。宝塚はのびやか

さて、いつも歌舞伎ばかり見ている私にとっては、宝塚はまた独特の面白さがある。

 

男性が女性を演じる歌舞伎と違って、女性が男性を演じる宝塚。男役はめっぽうかっこいい。

 

八頭身か九頭身だかのすらりとした肢体。長い手足。指先。スパッと天井まで届けとばかりに上がる足。実に軽やかだ。

何せ歌舞伎は、顔が大きければ大きいほど立派で、下半身にがっしり重心を落として魅せるものだから、その違いが面白い。

 

オーバーアクションで男らしさを表現していくジェンヌさんたち。ドキドキしながら観る観客たち。きらびやかな舞台。のびやかな歌声。旺盛なサービス精神。何もかもキラキラしていて楽しかった。

 

私はロミオを演じた礼真琴がピカイチだと思ったが、友人は「やっぱり男役がいいわね。私はティボルト(愛月ひかる)♪」と、会話控えめな中、こそっと私に囁く。友人の娘は、どうやって子どもをジェンヌにできるだろうかと、まじめに考えはじめた(笑)。

 

終演後は、お茶もせずに、そそくさと解散したのが残念だったが仕方がない。

 

役どころとしては、私は「愛」と「死」(「愛」はキューピッド、「死」は死神)という二つの役がとてもよくて、とりわけ「死」がよかった(天華えま)。人が死ぬとき、こいつはふっと現れて、すっと手のひらから命を飲み込むのだ。そうするとその人はガクっと息絶える。

 

いつでも「死」は物陰から世の中をうかがっていて、不気味だがどこか寂しそうだった。

 

ああ、私が今女子高生であったなら、ロミオとジュリエットごっこで、「死」を演じて、すっと命を飲み込むアクションをやって見せるのに…。

 

てか今でもこの後飲みに行ったらやりそうだったけれど、残念ながらコロナ禍では観劇のあとは、「飲まず食わずしゃべらず」で帰らなければならなかったのだ。(しつこい)

 

自分はミュージカル好きなんだったということを…ヤバい。私は思い出してしまった。

 

歌はエメが好かった。「エメ」と聞こえず「テーベ―」と聞こえた私は友人に「『テーベ―』って何?」と聞いたのだが友人は「『アーメン』じゃないの?」とこそっと答え、「そうか」と納得していたが、二人ともはずれていた。

「エメ」とはフランス語で「愛する」とか「好きだ」とかいう意味。

 

歌の意味も分からず聞いて感動するのは、歌舞伎も同じだ。歌舞伎の義太夫がわかるようになるには結構時間がかかるが、クイーンだってなんだって意味も分からず聞いて感動するのだから、いいのだ。

 宝塚的なるもの

この大仰な男役というか、宝塚的なものに、キャーっとなるような心理がちょっとわかったような気がする私は、最近気になる人がいる。それは、「おちょやん」に出てきた「明日海りお」だ。バチっと常にカメラ目線の劇団員で、いざというとき頼りになる姐さんだったが、最近では土曜のドラマ「コントが始まる」のファミレスの店長として出演している。こちらも頼りになる姐さんで、麻雀が趣味で雀荘の常連という設定だ。なんか、いい。気になる。

 

 ともあれ、3年前、ファントムで沼の縁まで行かずにちょっと覗き込んだ私は、今回ちょこっと縁まで来たような気がする。チケットの取り方も知らないので、そうそう行く予定はないが、チケットの取り方など、ゆめゆめ私に教えないでいただきたい!